差別を容認する国。
日本はそういう国になってしまった。
いつからそうなったかと問われると
詳しく答えることはできないが、
ただ現在と、そのずっと前から、
並外れて差別を容認する国になったと断言できる。
自分の実力を知らずに、周りの人々に偉そうな顔をして
威張りくさっていること。
貧富の格差を容認し続けること。
以上二つの状況になった国は、滅びに向かっていくと、
ある著述家が話していたことを
ふっと、思い出していた。
差別は、この国に生きている人々が劣化してきたからだ。
人間が人間でなくなり、人間を人間として認めなくなったからだ。
だから、人間を踏みつけることに躊躇いがなくなったのだ。
なぜ、こうなってしまったのだろう。
始めに、国家の(権力者の)劣化があったからだろうか。
権力への際限のない欲望を持った者たちが、
飽くなき権力闘争の末に実権を握ったりしたから。
その過程が、あまりに非道で、腐敗に満ちたものであれば、
人々は、そこから多くのことを学び、
自分も、できる限りの栄耀栄華に預かろと、
非道で、腐敗した状況のもとに生きることを選ぶことが考えられる。
こうやって人々は次々に劣化し、
それによって国の劣化にいっそう拍車がかけられた。
さてさて、人々の劣化と国の劣化と、今や、
どちらが始めかなどと考えている暇もなく、
がらがらがらがら、目に見える国の形が崩れ始めている。