おもいつくままに・・・

私がこの世に生まれて、74年と7カ月と20日になる。

この再確認が、私には、どうしても必要だ。

あと、どれくらいの時間が、私には残っているのかと思いながら、

いろんなことを考えている。

時系列ではなく、頭に浮かんだことを、次々に考えている。

 

やっておかなくてはならなかった諸々の事を

やらなかった後悔が、心にわだかまる。

それでも、私に残っている時間を意識しながら、

前向きに、誠実に歩みを進めようと思うが、

どこから、どんなふうにやったらいいだろう。

 

さてSNSを、それとなく見ていて、「不敬」という言葉を見つけた。

「不敬」など、すでに死語になっている言葉だと思っていた。

しかし、普通に、何の躊躇いもなく遣われていることに驚く。

私の中では、「不敬」は天皇制国家の中で遣われる言葉である。

2026年の今、「不敬」という言葉は、全くそぐわないと思っている。

 

敗戦後の日本国憲法第1条において「天皇」は、

「日本国及び日本国民統合の象徴」とだけ規定されている。

たとえ私が、この条項に不本意であっても、憲法の規定が

日本の根幹を支えていることは、認めざるを得ない。

だが、天皇裕仁が戦争責任を取らなかったことを、私は決して容認しない。

 

憲法を形骸化させ、諸々の法律が護られず、

不正と腐敗の日本の権力者が跋扈する現在の日本。

国の内外を問わず、数えきれない人々を殺した

アジア太平洋戦争の責任者であった天皇が、

何ら責任を取らなかったことが、

今の日本状況の遠因であると、私は思っている。

政治的な責任を、難なく回避できるとんでもない「風潮」は

戦争責任を取らなかった天皇裕仁から、始まっているのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

猫の爪切り

誰か、教えてくださいと、ぼそぼそと独り言をいう。

難なく、猫の爪が切れる方法を教えてほしい。

これはもう、本当に難しい。

今この時、猫のミーシャは、私の膝の上。

不安定な姿勢で、落ち着かない素振りをして体が揺れている。

それでも、何回も、首をコクンとさせながら眠っている。

こういう時に、爪を切ろうと、手足の爪に、

爪切りを、そっと当ててみると、目をぱっと開けてしまう。

さあ、どうしよう。仕方がないから、今夜はもう、諦めることにする。

 

 

 

時計

人間は、時計を抱えて生きている。

それを、胸の前に抱えているのか、

それとも、頭の中にしまわれているのか

どちらか、解からないが、時計を身近に感じて生きるというのは意味がある。

しかし、時計を意識するあまり、決まった時間までに、

何事かを間に合わせるとか、そんなことはバカげている。

時計を身近に感じるというのは、強いていうなら、

常に人生を意識して生きるということになるのだろう。

さて、以上のようなことを考えながら、

「時計」という言葉に、こだわっていくと、「歴史」という言葉に思い至る。

人間というのは、「歴史」という道を歩き、そこに「歴史」を刻み付け、

自分の命が終る時、自分の「歴史」を閉ざして、終わりにする。

 

梅雨の便り

梅雨の便り(2026年6月30日)

(六月末日)

ともかく、頭がボーっとしている。肩が重くて、目が見えにくい。

雨模様の今日、自分のすっきりしない頭と、闘っているような気がする。

それでも、こういう自分と、ゆっくり向き合えるのは、幸せなことだ。

年をとって、誰しもが同じように元気を失っていくのかもしれないが、少なくとも私は

今こうして、生きて色々考え事などができるのは、とても幸せなことである。

親しい友人からもらったコーヒーをいれて、それに合わせてクッキーも食べた。

さて、一時間以上、時間が経過したが、頭をボーっとさせる睡魔との戦いはまだ終わらない。

 

生きた証、いや、生きている証に、私はこだわっている。

戦争があって、理不尽な殺戮の被害者になっても、そのことを、死んでもなお告発できるのは、生きてきた一人の人間の「足跡」だから、名もない無力な私ができることは、自分の歴史を、人間の歴史として残しておくことだ。

 

相変わらず私は貧乏だ。もうずいぶん年をとって、それでも生きていけるかと問われたら、体力という面では、自信があるとは言えない。けれども、人間の尊厳を奪おうとする者への怒りの火を消すことはない。

それが、貧乏人の私の誇りとするものだ。時々、疲れ切って、元気を失いそうになるが、まだ、私には、自分の誇りを思い出そうとするバネのようなものが、確実に残っている。

死んでいくその時まで、人間の尊厳を守れる自分でいたい。

 

大雨と地震

朝起きたら、地震のニュースが入ってきた。

青森や宮城がやられたらしい。

ここ九州天草も窓の外は暗くて、雨が降ったりやんだりしている。

日本の北の方で、今まさに災害に合っている人と

日本の南の方で、これからの状況次第で、

災害に合うかもしれない私や家族や部落の人達。

 

昨夜は寝る前から頭の中で不安な心が、膨れ上がっていた。

大雨、線状降水帯、土砂崩れなど、「またか」と思いつつ、

人間としての無力感を痛感させられる。

でも、生きられるところまでは生きるしかない。

災害を超えて、何とかやっていくしかないのだ。

 

さらに、台風も近づいているらしい。

どれだけ文明が進んでいようとも、

人間がそれに対して身を守ることには限界がる。

 

また、雨が少し強くなってきた。

雨漏りのために、置いてある容器に落ちる雨の音が

パタパタとして、私の不安を煽る。

戦後しばらくして建てられた古い借家が

ダメになるのは、そう遠くないかもしれない。

もう、眠る。

夜更けになったから、もう眠ろうと思っていた。

眠らないと、明日が辛いから。

大雨で、仕事も休みになって、のんきなもんだが、

なんかこう、気持ちが落ち込んだり、イライラしている自分がいる。

 

この国の絶望的な状況が、心を暗くするのは確かだ。

高市早苗のような、幼稚で、傲慢で、能力のない総理大臣が

もう、半年以上も、権力の座に収まっているからだ。

彼女を選んだのは、結果的に、日本の国民。

 

高市早苗は、国民のレベルの低さがゆえに、誕生した。

もう、いい加減にうんざりする。

多くの日本人は、自民党や自民党に類する議員たちが好きで

国政選挙となれば、躊躇いなく投票して、彼らの権力を支え続けている。

 

あまりにも能力の低い、自民党議員たちが、

高市早苗を担ぎ出したのは、そういう自民党議員たちを生み出した日本人たち。

敗戦で、徹底的にやられたはずの日本人の末裔が、

戦争を好んで止まない高市早苗を総理大臣にしたのだ。

 

この奇怪な構図の中に生きなくてはならないことに

我慢も限界に来ている。