コロナウイルス新型肺炎

題名に、今まさに蔓延している病名をそのまま使ったけれど、

果たして、正確だったかなと思いつつ書き始めていく。

二〇二〇年の始めの頃、コロナ感染症(以後はこの言い方で)が、

世界的に広がり始め、これはもう、とんでもないことになっていくと思ったら、

一年が経って、やっぱりそうなっていた。

 

コロナ感染症への不安はもちろんあったが、

それよりはるかに不安だったのは、日本政府の対応だった。

日本の指導的立場にいる人たちには、この国に生きている人々への関心が全くない。

安倍政権が八年も続く中、未曽有の災害に幾度も見舞われたが、

政権の中枢が、これに真剣に向き合って、

被災した人々を支えようとした姿を思い出せない。

 

そんなことが、私の不安の前提にあった。

万一、自分がコロナ感染症に罹患したら、死んでいくしかないなと、

諦めにも近い思いを抱いていたのである。

思えばこれは、現政権の思惑通り、基本は自分でやってくれ、

それでダメな時は諦めてくれというのを、

先取りしてしまったということである。

 

さて二〇二一年正月、今や感染爆発は止まることを知らない。

そうして、こうした悲劇的な状況に至って、

(いや実際には、もうだいぶ以前からだが、)

日本の政権は、この国の人々の状況に無関心なだけではなく、

コロナ感染症そのものに対して、無能無策の集団だったということに、

新ためて気づかされたのである。

もともと現政権を支持したことなど一度もなかった私だが、

それにしても、これほど無能だったとは愕然とする。

 

いったいなぜ、自らの命を左右する悲惨な状況に向き合わされてしまったのか。

その答えは明らかだ。

現政権を支持していたか否かに関わりなく、

私達民衆の政治意識が、あまりにも脆弱だったのである。

今日のような事態になるのは、分かっていたことではないか。

それにもかかわらず、現政権の、止まることを知らない劣化を、

おし止めることができなかったのだ。

 

政権内部とその周辺の不正や腐敗、国家の私物化が公然なものとなっても

一切の歯止めが利かなくなった状況。

何よりも、口を開けば嘘ばかりを言う総理大臣など、

あまりに異様な光景を目にしながら、何ひとつ抗えなかった自分が腹立たしい。

 

さて、これまでのことについて十分な総括をしたら、

今後のことを考えなくてはならないだろう。

いったいどうしていくかだ。

この国に生きる人々を支えるための権力機構を創ること、

この国で人間らしく生きていけるために現政権を交替させること。

様々な思いが頭をよぎっていく。

 

コロナウイルス新型肺炎の終焉など、いつになるのか全く分からない。

だが、まずは人としての尊厳を取り戻すこと、そのために行動することだ。

それではいったい何をなすべきか。

頭の中で、何かがぐるぐる回っている。