ここ二、三日、「序列化」という言葉が、ずっと頭から離れません。
自分の仕事場が、学校ということもあるのかもしれません。
言うまでもなく、学校は、成績を競わせながら、
子どもたちを「序列化」する場所だからです。
でも、そればかりではないような気がします。
これから大人になっていく子どもたちが、学校で序列化されれば、
その後は、人間を序列化する社会が出現するのは、当然の事です。
つまりは、今、私たちが生きている日本の社会が、人々を序列化することを、
当然のこととして存在しているということなのです。
そういう状況の中では、社会的な身分の上下に価値の基準が置かれます。
上に登ろう、上に登ろうと努力することが、立派なことだとされ、
そこから、外れてしまった人は、落伍者のように扱われます。
その上、そうした状況が、当然のことだと認知され、
これが社会的な共通認識だとさえ、言われてしまいます。
けれども、それは、やっぱり違います。
そもそも、人間を序列化するのは不可能なこと。
人間は、一人一人、みな違う。当たり前なことのようですが、
地球上で、自分と全く同じ人間は存在しないということを、大前提にして、
自分が、唯一の存在であることを再認識すべきなのです。
人間が、各々、全く違っているのですから、
本来、序列化することなどできないのです。(続く)