「教育」について考えてみた・・・

曇っている。天気がぱっと晴れない。自分の心と同じような状況かなと思う。貧しい暮らしを誇らしげに高らかに語れない一面もある。それはそれでいいと思うけれど、ずいぶん永いこと、弱い部分を抱えながら懸命に生きてきたなとふり返ったりもする。

それにしても、この社会は意地が悪い。いろんな人がいるってことを認めることができない。その人の人生にはその人しかわからないものがあるなんて当然だけれど、それを認め合うことができないみたいだ。

他の人に踏み込まないのは、人間としての最低の礼儀だが、その礼儀がわからず、踏み込んでくる人をよく見るけれど、こういう傾向は、もしかすると、日本人に多いのかもしれない。

互いのエリアの境界線がわからないということは、人間が何者なのかということが分からないということに等しい。時折り、いじわるをする事で相手に試練を与えているなどと思っている人に出会うが、いじわるの根っこは悪意でしかない。

毎日、若者と出会う仕事をする身として、一つの原則がある。それはこちらの言うことを聞かない若者に、強い怒りを感じている時には、決して何も語りかけないということだ。そんな思いが冷めてから語りかける。
どうなってほしいと思うのか。冷静に、生きていくべき道を指し示すことができる自分を取り戻してからゆっくり語りかける。相手に対する礼儀も絶対に必要だ。特に教育現場では相手の尊厳を守らなくてはならないという絶対の原則があると信じるからだ。

そういう前提にない「教育」は、どうしても信じることができない。