暮らせないはずのくらしかたを、毎日やっている。
どうしてこんなに税金を取られ、
どうしてこんなに保険料が高いのか。
そんなに取られたら、生きていけない。
日本国憲法では、そんな状況を否定し、
そんな状況に陥っている人たちの生きる権利を保障するのが
権力の責務だとうたっているのに、
その憲法のもとに生きている私は、憲法の語ることとは裏腹の状況に日々を生きている。
そして、怒りと不満を抱えながらも、毎日毎日、生きることに精いっぱいで、人生を刻んでいく。
命を削るって、こういうことだと思う。
そうやって、子どもを育て、家族の毎日をできる限り守りながら、
泣いたり、笑ったりしながら、生きてきたなと、そんなことを思っている。
確かに年をとったなと、ふっと気づけば、感度が少しずつ弱くなっている。
特に怒りの感度だろうか。人々が幸せに生きたいと思う、
そんな当然の願いを踏みつけるものに対して、心の底から怒っていた若いころ
あんな日々があったからこそ、子どもたちを育てることができたし、
学校現場で仕事もできたし、さらには、長い文章を書き終えることもできたのに。
そうだ、ここまで書きながら、かってに、老いてしまうというのはやめよう。
老いていくことの中に、隠れてしまうのはやめた方がいいななどと思い始めた。
秋から、大学の通信教育が始まった。その一冊の教科書を、読み始めながら、
70歳になるまでに、歴史学科を卒業しよう。学位を取ろう。
好きな勉強に心を傾けて、見えなかったものがまた少しずつ見え始めて、
心が落ち着くかもしれない。私は、ともかく勉強が好きなのだから、
新たに何かを知って、考えていくというのが、大好きなのだから。
そして、いまやっと、好きな道を
以前よりもスムーズにゆっくり進んでいけるようになっているのだから。
神が命を、与えて下る限りは、やっていきたいなと思っている。