序列化されたことへの恐怖

あと一か月もすると67歳になる。
高齢者の自覚を持たないまま来てしまっていたが、
いよいよそうもいかなくなって、ここ数か月は
人生の終わり方みたいなことを、折々考えている。

そういう中で、自分を見つめなおしてみると、
私はやはり、強烈な個性の持ち主だったなと思う。
それはほとんど天性のもので、その個性に伴って、
他のさまざまな特徴的な性格が、私らしさを作り上げていた。

こんな私は当然のことながら、あれもこれもと、
巧みにこなすことができなかった。

好きなことは時間を忘れて取り組むが、
そうでないものには、適当にやってしまうということになる。
気が乗らなかったということもあるが、何より、仮に取り組んでみても、
結果は決してうまくいかなかったのだ。

実は私は、今に至っても、自己評価が高いとは言えない。
個性が強かった私には、いくつものことを一通りこなし
そのうえ、良い評価を受けるなどということは、夢みたいなことだった。
学校現場では、ほとんどすべての場で、様々な評価を受ける。

それだけならばよかったが、いや、仮にそれだけをしてくれたなら、
他の人に引けを取らない、高い評価を受けるものを私は持っていた。
だが、そうはいかなかった。一通りのことが、まずまずできることが
常に望まれていた学校社会で、私は常に序列化されながら、
自分の心を弱めていったように思う。