66歳と5ヶ月が過ぎた。
一年一年、いや一日一日、大切に生きたい。
私は、一日中、学校にいるという生活を離れて
今日で26日になるが、それが、私をのびやかにさせている。
ひとつの問題について、何一つまともに考えることができない
力のない管理職や、それに逆らうこともなく、
自分独自の考え方をまとめて、発言する力をもたない教職員と
隣り合わせで仕事をしながら、忍耐してきた日常から
離れることができて、私の精神は、やっと自然に稼働することが
できるようになったのだという気がする。
矛盾だらけの教育現場の状況は、そこから育っていく子どもたちの心に
暗い影を落とすことは間違いないが、それを危惧するのは
極めて少数の人々。
今この国で起きている夥しい数の不正や腐敗。
それらが誰の目にも、これほどに明らかになっているというのに、
その元凶の権力中枢の人々を、退陣させることも
処罰することもできない現実の日本国。
その成員を、日々、教育現場が送り出しているというのに、
学校は、建前から一歩も出ることができないまま
その日その日の、危機的状況から目をそらし、
そこから何かを学んでいこうと、ついにすることはなかった。
まさか、そんなことは考えていないはず、
もちろん、それについては考えているはずと、
そんな予測を立てながら、教職員の集団と一緒に仕事をしてきたが、
そのほとんどは、悪い予想は的中して、
目の前の深刻な事態に向き合っていこうという
勇気と、賢さを持っていた教職員は少数だった。
さて、それでは私はどうだったのか。
その振り返りを真摯にやって、
今とこれからの私にできることを見つけ出し、
少しずつやっていくしかないのだと思う。