(南の島通信)5

今日は、イライラしている。仕方がないことだ。
自分が自分らしくあろうとすればイライラするしかない。
まず何より、違和感のあるものに、違和感があるとはっきりと思うこと。
何もなかったような顔をしないこと。
そして違和感の出所が何であったのかを思いながら、静かに言葉にしておくこと。
それらが重要なのだと思っている。
毎年この時期、同じようなイライラした思いに襲われる。
私がいる公立高校で3年ないしは4年間在籍した教職員が、
よその学校へ転勤していくことが決まり、今日、その内示があった。
思えば不思議なことだ。
こうした公務員の異動は、何のためになされるのだろう。
いくつもの学校があって、そこにやってくる一人一人の若者の人生に、
あまりにも大きな影響を与える教師が、定期異動で、生徒の都合に関係なく、
突然いなくなってしまうのだ。
なぜ、それはお上の意思というしかない。
つくづく定期異動というのは、生徒各自に寄り添って、
各々の人生をよりよく開いていくために、
どのように教師を配置していこうかなどというものではなく、
一つの学校を、どのように経営していくのかという視点に重点を置いた
どこか人間とも教育とも無縁なものだと思ってしまう。
もっと、わかりやすい言葉で、的確に表現できるはずだとも思うが、
今日初めて、教職員の定期異動について、自分なりの言葉で書いてみようと思った。
そうだ、日本という国の、お上の在り様について、
これから、その渦中にいる人間としてでき得る限り描写してみよう。
それが、違和感の元をはっきりさせることに、きっとつながっていくはずだから。