もともと私は、いますんでいる土地に愛着がない。
根無し草のわたしが育ったのは東京で、よくも悪くも
そこで包まれてきた空気のようなものが、今のわたしを作っているから
それ以外のものに自分を委ねて生きてくることはできなかったのかもしれない
・・・ということが、65歳という年齢にさしかかって確信されたのだ。
でも、だからどうしたということになるが、
育った土地とは別の土地で生きて25年以上がたち、
人との距離を遠くして生きることが、そんな私が
持つことができた知恵だった。
それがまた、大人としての私のスタイルだと
気取ってきていたのかとも思うけれど、
それはそれで、必然性もあったし、これからも変わることはないなと思う。
でも、同志はいた。私も同志の片隅にいられたのだと、昨夜は、
そんな同志たちの集まりに参加させてもらうことができた。
6年前、定時制高校で一緒に働いた教職員たちが、生徒への熱い情熱を
持ち続けながら、現在では別々の職場に散らばってはいるが、
やはり、同じように、誠実に真摯に若者に向き合って働いている。
そういう人たちと、一緒にお酒を飲み、食事をした。
疲れ切っっていたけれど、幸せなひと時だった。