定時制の生徒たちがやってくる頃は、とくに蒸し暑かった。
今日は二時間の授業、なんとも気合が入る。
これ以上にないくらいに大きな字で板書して
さらに大声を張り上げ、生徒たちの気をこちらに向ける。
彼らの多くはアルバイトをして学校にやってくる。
だから、疲労していないはずはないのだ。
その中の一人が、今日はやたらに興奮して大声を張り上げる。
いつものことだが、その子がなぜそうなるのかを知っている以上、
その子のいらだちや悲しみは、こちらに容赦なく伝わってくる。
幾重にも幾重にも、その小さな肩に重荷を負っているのを
代わってやれるはずもなく、それでも、筋違いな感情爆発をして来れば
しっかりと受け止めて、こちらも強面で対応する。
田舎で生きていくということは、格差の最底辺で生きていくことをも
意味しているのだ。
最低賃金の全国レベルでも下から数えるほうが早い九州の片隅で
若者たちは、何とか家族を助けながら働いている。
それどころか、他にもいくつもの苦難を背負っている生徒だって
少なくない。
ああ、こういう土地で暮らして20年がとうに過ぎた。
そして私は、なんと強くなったことだろうか。
ハンデだらけの人間たちの中で、自分自身も
その一人として、人間への熱い思いも深まっていったのだ。
さて、そして今夜は帰宅したのが夜の10時ころ、
介護職員として、歩きだしてまだほんの間もない息子の
疲労困憊した顔と出会う。
やっとであった仕事と、毎日懸命に向き合っている彼を
励まし、励まさながら、静かな夜が深まっていく日々を過ごして
まだ一週間にもならなかった。
一日一日、弱い者には弱い者の生き方があり、支えあい方がある。
仕事場でも、家庭でも、それは同じことだ。
さあ、やっぱり今夜の思いを綴っておいて正解だった。
心を静めて眠ることができそうな気がする。