ふっと、思い出した言葉、「歌を忘れたカナリア」。
若い頃から、ずっと、闘ってきた私。
政治的にも、社会的にも、いろんな場面で、いろんな戦いの中にいた。
1970年、安保改定を阻止しようとするために、
国会を20万人の人が取り囲んでいたあの日。
私も、その中の一人だった記憶が蘇ってくる。
デモなんて、当たり前な示威行動。
そんなことは、いくつもいくつもあって、
沿道で、それを見送る人たちも
右翼であれ、左翼であれ、声をかけあっていた。
政治が批判されて、その結果、形はどうであれ、
政治が少しずつ是正されて、
少しでも良い方向に向かっていきますようにと、
祈りのような思いで、示威行動に参加してきた私。
あの頃までは、何とか民主主義が体裁を保っていた日本。
そんな私が田舎に転居して、28年目になる。
貧しい中で、子育てをしながら、働いて、働いて、
数えきれないほどのパワハラを受けて生きてきたけれど、
最優先なことは、糧を得て、その日を生き抜くことだった。
そうして、ふっと気づいてみたら、
直截な怒りの発信を忘れてしまっていた私。
もしかすると、怒りを覚える機能が
危なくなってしまったのかもしれない。
いや、でも、このままではいけない。
人が、人らしく生きていける社会を創ることの一翼を担おう。
参議院選が始まって、山本太郎が旗揚げした「れいわ新選組」を応援している。
家の壁に、公示前までポスターを張り、友達には彼らを応援してほしいと訴えている。
それでも、闘い方を忘れてしまったかのように、モタモタしている私。
「何、気取ってんだよ」と、自分に問いかけている。
歌を忘れたカナリヤは、「ウ~タ~ヲ~ワ~ス~レ~タ~~・・・・」と、
一人で、発声の練習を始めている。
急がないと、舞台の本番は近いぞ。