雑炊をすすりながら

一人、台所でこれを書く。もうずっと前、イスラエルの攻撃で、町が破壊され、人々が殺されていくと、リアルタイムでツイーとしていたパレスチナ人のことが、ふっと思い出された。

 今、こうやって私がとりとめもなく何かを書き留めるためにパソコンに向かっていることと、冒頭のパレスチナ人のメッセージと、いったいなんの関係があるのかと思たりもするが、書き続けよう。

 世界中で、罪もない人々が次々に殺され、その危機の一端を、発信した人に何一つ報いることもできぬまま、私は、こうして穏やかな日曜日を過ごしてしまっている。

だが、私の内と外が穏やかかどうかは、今、目に見えていないだけのこと。目隠しされている向こう側のことを、私が見ていないだけのことだ。

戦争という、人々を殺す究極の暴力が、巨利を生み出すから、それこそ、見境のない世界の状況が出現している。たった今まで家族と共に笑ったり、泣いたりしていたはずの女性や子ども、老人や、若者たちを、まるでゲームのように、遠隔地から、ボタン一つで殺害していく光景を、見せられたことがあった。

狂っている。完全に狂っている。だが、そう独り言のようにいったところで、今この瞬間も、事態は進行して、人々は殺され続けている。

なぜだろう。なぜ、思い出したのだろう。日曜日の、午後の穏やかなひと時、あまりにも危うい、この国と世界の行方について、私の中の何かが感じとってしまったからか。もう、時も、場所もなく、危機は突然やってくるのかもしれない。