私が歩いてきた道 2

 2018年の3月も半ば、

 まだ風は冷たいけれど、それでも春はやってきたかなと思う。

 毎年、春は、心がゆらゆらして不安定な状態になる。

 そういう春に、今から27年前の4月1日、私は天草へやってきたのだ。

 来てすぐに乳癌になって、それでも闘病しながら、暮らしていくために、

 次から次へと動き回り、当時の私の行動力はなかなかのものだった。

 仕事を、どうしていくのか。せっかくやってきた天草で、

 どうやったら、自分らしく充実した日々を過ごしていけるのか。

 病気なんかに負けられない。考えることは、たくさんあった。

 でも、なかなかうまくはいかなかった。

 高校の講師の職が、病気で続けられなくなり、そのあとの仕事を探しても、

 何よりも、食べていけるだけの給料がもらえる仕事がない。

 いろいろ手立てを考えた挙句、家庭教師の仕事を見つけたり、

 その他にも、小さな新聞に短いコラムを書かせてもらったりしたが、

 書く仕事の方は、ほとんど無償労働だった。

 それにしても、田舎では生活費が都会ほどにはかからないと、

 そんな思い込みを どうして持っていたのだろうかと、今ふりかえっている。

 
 連れ合いの方も、自分がどういう仕事をして糧を得るのか、その手段を準備してはいたが、

 実際に天草にやってきて、それを具体的に展開していくことができないまま、

 一日一日と、月日は容赦なく過ぎていた。

 そうした中で、転居後すぐに、私が乳癌になって手術を受けることになったのだ。

 試練に次ぐ試練、そんなこれから先の生活を暗示させるような出来事から、

 私たち家族の天草生活は始まったのだ。