天草、苓北にて・・・

ザビエルが日本にやってきたのは1549年、

それから17年経って天草の「志岐」にキリスト教は入ってきた。

そんな歴史的に由来のある「志岐」は、今も地名は残るが、

多くの人々にとって、苓北町といった方が馴染みがあるようだ。

その苓北町で、毎年行われている「頌徳祭」に、

私と連れ合いは二人で参加した。

苓北は、良質の石炭を産出する炭鉱が点在したところ。

そこで働く人々の多くは、炭塵で肺をやられ生涯苦しんだという。

やがて炭鉱が閉鎖されると、今度は九州電力がやってきて火力発電所を建設することになった。

火力発電所の建設は、環境破壊の最たるものとして、地元の猛反発にあったが、

結局、権力の力が上回って建設され、発電所の煙突が天高くそびえ立ちち

毎日もくもくと、白煙を大空にまき散らしている。

当時、火力発電の建設に反対した人々のリーダー、松本豊明さんは、

すでに病を得ていたにも関わらず、火電建設反対の強い思いから

自らハンガーストライキを決行して、命を終えることになってしまった。

その人の命を懸けた熱い思いを、引き継いでいこうと、

以後毎年、「頌徳祭」が開かれている。