息子は朝7時から出勤、連れ合いは、90歳の母の所へ行っていろいろお世話をする。
昨夜は、大雪を心配した。家から出られなくなる状態は、困ることが山のようにある。
卒業していく4年生の学年末テストを作り上げないと、いつ、何が起きるかわからない。
天変地異。この国のもう、どうしようもない崩壊状況。
いつ、何をやらかすかわからない安倍政権は、この国を押し潰さんばかりだ。
安倍晋三のような馬鹿な人間が、最高権力者におさまっているという現実が
既成事実としてあって、その既成事実を、何とかしなくてはならないと、まず思うこと。
次に、何とかするために、実際に行動を起こすこと。
こうした二つのことを、うまく連結できないことが、日本という国の悲劇。
目の前の事態を、自らのこととして自分に引き寄せる。
これができない。何か、遠くの出来事のようなどうしようもない錯覚を起こす。
いや、自分だけのことではなく、自分と共に生きる広範な人々のこととして、
引き寄せて考えるということだ。
いったい何が、決定的に欠けているのだろう。
憲法も、民主主義も、人権も、その他諸々、人間がより大切にされるために
歴史の中で、編み出された考え方、それを基にした行動。
そうした一切のことが、安倍晋三によって無視され、疎外され、踏みにじられて、
それでも、この国の人々は、相変わらず、安倍晋三を総理大臣として居座らせる。
仮に、安倍晋三さえいなくなったところで、安倍晋三を、結果的に支え続けるこの国の
在り方そのものが、この先にきっとやってくるであろう「悲劇」につながっていくはずだ。
頭の中は、この国への憂慮と、今日の仕事と、いつ変わるとも知れない天候と、
それ以外にも、色々なことで、整理がつかない状況になっている。
それでも、安倍政権の退陣を切望する意志だけは、
日常的に明確に発信していなくては、気が滅入っていく。
安倍晋三のでたらめな演説や、安倍夫妻の写真などを、聞いたり見たりしなくて済むように、
この国が、少しでも新たなものになっていけるように、
そんなささやかな願いを持ち続けていけるように、自分で自分を元気づけている。