こういうことは久しぶりだ。昨夜から、もうどうにも体調が悪くなって早く寝てしまった。
ただただ眠かった。その上にまた、なぜかお腹を壊してしまっていたのだった。
2016年の6月、いや正確に言えば、もう一年も、二年も前から、
私が死んでいく前に、やはり、もう少し別の何かを、やっておかなくてはいけないのではないかという
形の定まらない思いが、徐々に大きくなっている。
そのことが、私を読書に駆り立て、一方で、一人思いにふける時間を多くさせている。
それにしても、この国の政治的な、社会的な現実は、あまりに酷い。
こうなる前触れは、すでにずっと以前からあったけれども、
実際にはその時、その場で、抵抗のしようもなく
黙認しながら、今日まで来てしまっていた。
そういう私が、ここ二週間ほどの間に、三冊の本を手に入れ、そのうち、二冊の本を読み終えてしまったのだ。
『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』NHK出版新書刊
『「戦後」の墓碑銘』株式会社金曜日刊
『永続敗戦論ー戦後日本の核心』太田出版刊
最初の二冊は、読了。
三冊目は、まだ読めていないが、読む順序を刊行順にしなかったことで、未読の本の理解がより深まるはずだと思っている。
三冊いずれも、著者は白井聡氏。社会思想史、政治学などの専門家で、生まれが1977年というからなんとも若々しい。
以前から、断片的に氏の主張を知ることがたびたびあったが、一冊の本としてまとまったものを、読むことができて幸いだったと思っている。
一言でいって、面白かったのである。論理の筋道がわかりやすく、一読者の私にとって、内容を理解することが容易だった。
これまで十分予想されたこととはいえ、昨今の日本の政治は、もう、こちらの精神がついていけないほどに
ガラガラと斜面が崩れ落ちていくような「劣化」状態にあって、諦めとか、絶望とか、そんな言葉しか思い浮かばない状況である。
だから、それで仕方がないのだとは、もちろん思わないが、じゃあ、どうすればいいのだと、
日々自問自答するしかない自分がいるのも確かなことだった。
そこで、自分を持ち直すためにもと、白井聡氏との出会いを現実のものにする読書が、まずは必要だった。
その結果、仕事から帰って夜遅くまでの読書で、目の疲労は限界に来てしまったということになった。
もちろん、「読書」は現実の自分の状況を引き寄せることで意味を持つものだから、
現実の自分の日常と白井氏の言説を結び合わせることは、自分がやっていくしかない。
それが、私の体力を使い切ってしまったというのが本当のところだ。
私は、定時制高校で、国語を教える労働者、毎日、細々と家族と生き抜き、
より誠実に、人間としての感性だけは失わないように生きてきたつもりだ。
それでもなお、結果として自分が黙認してしまったものは無数にあるという現実。
他者を踏みにじることが、可能な限り少なくなるような生き方を模索し続けてきたはずでも、
それ自体が、すでに虚構であったとするなら、自分の生き方を「是認」せざるを得ない一方で、
安倍のような愚かな傲慢な首相を退陣させる具体的な戦いを、
何とか、具体的に展開する自分の方法を持たなくてはならないと、
それだけをあらためて決意しながら
頭痛薬を飲んでしまった私は、私の思考を先へ進めようと、
こうしてパソコンをうち続けているところである。