何だか 悲しくなって・・・

 優しい家族と生きていて 悲しいはずもないけれど

 生きていく大変さに だいぶめげてしまっている。

 仕事を辞めたいと、ずっと思ってきたということ。

 そして自分の残りの人生をどうやって生きていくのかを

 そのことを最優先に考えてみたいということ。

 でもその一方で、同じくらいの重さで、

 自分を支えてくれた連れ合いのことや息子のことを思っている。

 連れ合いについていえば、どちらかが死んでいくまで

 きっとそばにいて、見守り合っていく。

 もし、それができなければ、私の心は

 平安を保てぬまま、壊れてしまうにきまっている。

 暮らすということにかけては、弱くて、頼りなくて、

 でも、私を支え続けてくれた人。

 これ以上にはないというほど、私を理解し続けてくれた人。

 二人が歩いた歴史を振り返ると、永い時間が経ったはずなのに

 今も、すべては、あの日のままだと思ってしまう。

 何が、二人をつなげたのか。

 悲しみと、苦難の人生を歩いていく予感など

 あの日、すでにはっきりとあったはずなのに

 私はためらうことなく、実家を飛び出していった。

 そうだ、息子について思ってみると、

 これもまた、弱くて、頼りなくて、でも、限りなく優しい。

 いじめられっ子で、暗い闇の中を、あんなにも永い間

 さまよっていたのに、なんとか、自分も生きていいのだと

 そんな思いを取り戻しながら、今はもう、

 自然なふるまいの中で、優しく生きることしかできない青年となった。

 いつか、そんな息子とともに生きようとする人が現れるその日までは、 
 息子は、私と連れ合いのそばで暮らして

 互いに励ましあっていくことになるだろう。

 ああ、それでも、私は、残りの人生をどうしていくのだと、

 自分らしく、できる限り妥協を強いられず

 暮らしを立てていくにはどうすればいいのだと、

 そんなことばかりを思っている。

 64歳になった。

 「人並み」に生きられない人生は承知の上で歩き出したのは40年も昔

 「人並み」に生きない父と母の子として育った子どもたちは

 感性の豊かな、やっぱり両親のように、人生に戸惑いながら、

 相変わらず頼りなく

 「自立」などという言葉とは、どこかほど遠い

 そんな状況で生きているという現実。

 さあ、もう涙は流さない。

 心が、静かになっている。

 生きる。老人になって仕事を失うなんて

 野垂れ死にをする覚悟がいるだろう。

 老年になって、仕事を辞める。

 なんていうこともない。

 もともと、「仕事」などなかったではないか。

 だから、死んでいく準備をしよう。

 心静かに、その日までどうやって生きていくのかを

 工夫し続けていこう。

 家族を愛し、家族に愛されながら、

 ここまで歩いてきたことを感謝しながら、

 そのすべてを、神に守られてきたことを、自覚しながら。