貧困・・・

 我が家も それほど変わりないとは思う

 でも 今日の食事は 何とか確保している

 これが出来ない人達がいるのに この国は全く無関心に

 何の手だてもせず 勝手に死んでいけと

 結局 どういう場面でも そんな対応をしている

 遅く起きた おかしな夢を見て 気づいたら一人だった

 息子は 職業訓練校へ 連れ合いは 福岡高裁

 二匹の猫も それぞれに眠っていた

 空は 暗い 全くの梅雨の空だ

 もう後二年もすれば 60歳も半ば

 死ぬまで自力で働いて 生き抜くということの

 実践が いよいよ試される時がやって来ている

 貧しさを じわっと心に焼き付ける

 若かったころ 「観念のお化け」だと言われたことが

 しみじみと懐かしく感じられる

 そんなお化けのままに 老年を迎え

 しかし 女としての私は 現実との折り合いに

 悪戦苦闘しながら 心にしわを刻んできた

 死んで 何もかもがわからなくなるとしたら

 楽にはなるのかもしれないが

 そうはいかない いや そうする気もない

 生きて 人を愛し 生きて 不正と向き合い

 生きて 自分の無力を知り 

 生きて 自分のパンを 一かけらを 隣の人に渡す

 生きて 好きな勉強をやろうとし

 生きて それがなせない非力な自分に苦しみ

 生きて そこから得た ほんのわずかな知識で

 今 生きていることのなんたるかを知り

 そういう発見に喜びを見出し

 まだまだ まだまだ あるに決まっている

 生きることの抱えきれない中身自体が

 結局 生きることの意味であり 喜びなのだから

 さて 息子は 介護の勉強を始めた

 その過程で 昨夜 おむつをして排尿し

 その実感をおぼえるように 課題が出されやり終えていた

 雨の中だから すぐに燃やすことができないけれど・・

 と、すまなそうな顔をして 二重のビニール袋にいれて

 片隅においていった

 人は皆 老いて死んでいくはず

 観念としての「老い」とか「死」とか「生」とかではなく

 実際としての 人間の生き様としてのオムツをした

 「排尿」の体験・・・

 一方 連れ合いはダム建設に反対して起した

 裁判の原告として福岡まで出かけて行った

 昨日夜更けに 彼の財布に そっと5000円を入れる

 この日のガソリン代と 弁当代として

 老人たちが いく人か 同じ原告として同行する

 誰かれが 知る闘いではないが 高裁までやってくるまで

 永い時間がかかっている

 県が雇った弁護士がやってくることだろう

 市や県の職員が出張旅費をもらって 傍聴するのだろう

 彼らを潤すお金は 何と 闘う私たちが支払っているのだ

 こんな理不尽な構造の中で 大自然が壊されていく

 さあ 部屋の中を歩いていても

 べたべたとする湿り気の中で 掃除をしよう

 もうじき 出勤の時間だから

 準備をしなくてはいけないから