老い また 老い・・

 66年も生きてくれば、まちがいなく老人です。

 そんなことはわかっていることです。

 それでも、老いていくことは寂しいものでもあります。

 今日、家から40キロもある行きつけの歯医者さんで

 歯を抜きました。それも2本。

 すでに上の歯は奥の歯の各々一本ずつを残してすべて入れ歯。

 下の歯だって、前の歯が辛うじて健在という状態でしたが、
 
 その続きとしての右側の2本を抜いてしまったのです。

 その歯科医院の院長は歯周病の権威で

 あちこちの歯医者を巡って、この医院にたどり着いた時には、

 私の歯はいく本もの抜歯の後だったのです。

 だから、せめて残っている歯はできる限り抜かないように

 頑張って手入れをしてきたつもりだったのですが

 とうとうその努力も空しく、今日、2本の歯を

 抜かなくてはならなくなったというわけです。

 なんとも寂しい えもいわれぬ喪失感が心の中に立ち込めていました。

 老いるということは、その寂しさを味わうということは

 2本の抜歯をした今日のような出来事に向かい合うということです。

 とはいうものの私は、この命が終えるその日まで

 精一杯生きようと、力のこもった感覚を覚えています。
 
 さらに今日、連れ合いは天ぷらを作るために

 「タラの芽」の枝を切ろうとして

 その枝が連れ合いの顔に当たり、鋭い棘で顔から血を流す

 という思いがけない事態に遭遇してしまったのです。

 夕方のことでした。連れ合いが常用している薬が

 血液をサラサラにするというものだったので、

 止血がうまくいかず、深刻な事態になってしまいまいました。

 それでも、しばらくして出血もとまり

 連れ合いは、抜歯した私のためにうどんを作ってくれました。

 連れ合いの傷治療のために、息子が薬屋に走ってもくれました。

 こうして家族3人は、夕食のうどんを囲むことができたのです。

 ここまで書きながら、老いてゆく自分と連れ合いと

 そんな私たちを見守っていてくれる息子と

 ゆっくり、一歩一歩、まだまだ歩いていくぞと

 そんな思いが心の中に、広がっていったのです。

 老い、また、老いです。そういう人生を

 やるべきことをやりながら、ゆっくりと歩くつもりです。