一日 一日を生きる

 昨夜、台所でお茶碗を洗いながら泣いた。

 久しぶりのことだった。

 そんな自分を、別の自分が見つめながら

 何か懐かしい感覚だった。

 台所で泣くというのは、多くの女性たちがやってきたことに違いない。

 どんなに疲れていても、どんなに足元がふらついても

 茶碗を洗って、茶碗も流しもきれいになると

 泣くほどの悲しみが、軽くなっていくのが不思議だ。

 一人の女性として自立してから、40数年歩いてきた道のりで

 何度も何度も、台所で泣いた。

 それでも、泣くというのは、愛し合うことの裏返しだ。

 連れ合いとの、子どもたちとの、深い思いのやりとりがなくては

 泣く理由もない。

 晴れると思っていた天気が、それほどでもなく曇天。

 だからと、言い訳をしつつも、気力を失っている。

 それでも、いや、こんな時は、家の片づけをし、

 洗濯を終え、掃除まで手を伸ばして、

 心を軽くしていこうと、今日の昼前は、

 そんなふうに過ごしたのだった。