私の心は、決して湿っぽくはないと、思い直して綴っていく。
我が家は、どうしようもなく湿気に満ち満ちている。
山間にある家で、もうすでに3年半、
それなりに心地よく過ごさせてもらってきた。
静かで、緑が豊かで、鳥の声が絶えず聞こえ、地下水が使えて、
隣りの家からは、ずいぶん離れているから、
息子のギターも、私の朗読も、練習するには最適の家だ。
でも、もうそろそろ限界だと思っている。
昨今の過激な天候は、尋常ではない。
感覚的なものだといわれそうだけれど、実は、この感覚が大事だ。
大自然と人間が、折り合いをつけて、ここまでやってきたとしたら、
たぶん、人間の方が、それを放棄して、何をやっても大丈夫という慢心の中で
好き放題に、自然を破壊してきたことが原因だと、私はそう思っている。
ということで、裏山の、山ぎりぎりに建てられている我が家が、
いつ、つぶれても、そういうことは、十分考えられる。
昨夜も、凄まじい落雷と雨、二人とも目を覚まし、
猫は、余りの不安の中で、外に出たいと願ったらしく
連れ合いは、その通りにしてやり、戸を開けたまま、待っていた。
人間は必ず死んでいく。そのことを当然のこととして受け入れても、
神が決める命の終わりの日までは、ゆっくり静かに生きていこうと思う。
さあ、外は雨。連れ合いは90歳になる母のもとへいった。
私はといえば、体調不良で、一人湿った部屋でこうやって
心に浮かぶことを綴っている。
それにしても、日々、現政権の退陣を切望している。
さらに、知性を憎悪し続ける現政権の在り様に対して、
あまりに寛容なこの国の人々をも、私は、嫌悪している。
日本は、とっくの昔に終わっているのだろう。
だからといって、今ある命が、守られなくていいはずはないのだから、
私は、現政権への退陣を願い続ける。
そのために、自分ができることをやるつもりだ。
写真は本日撮影のもの。窓を開けると、こんなふうに山が迫る。