人生を思う

今日は、事前に聞いていたように、これまでになく寒い。一人で部屋にいて、石油ストーブと、電気座布団のようなもので暖をとって、こうして原稿を綴っている。

ここ三、四日、何かをやる気が起こらない。やることはあるのに、やる気が起こらないのだから、困ったなと思う。

速さの程度は色々だったが、それでも前へ前へと進んできた私の人生にしては、自分らしくない状況だ。

さて、これから先のことなどを思ってみたりしている。あと二年、七十歳までは何とかやっていけるかなと思う。仕事についても、暮らしについても、ゆっくりと自立した状況を保つことができるかなと思う。

但し、何が起こるかわからない。振り返ればそういう事の連続で、何かが起こると、その時々の判断で最優先の方向を選んできた。

もう四十年以上も昔、亡くなった私の父が、「いつまでアルバイトをやっているんだい。」と言ったことがある。当時小さな会社の重役だった父には、アルバイトをしながら、夜間大学に通い、その上、同じ大学に通っていた現在の連れ合いと、一緒に暮らしている私の人生が、とても不安だったのだろう。

確かに、その頃の私には社会の中で通用する人生の設計とか、計画というものがなかった。だが、思い返してみれば、そんなものが何もないまま、家族の各々が、ここまで生きてくることなどできるはずはなかった。

まあ、そうしたことの詳細は、いつか機会があったら綴っていきたい。私は今、年相応に生きることと、死ぬことについて、考える機会を与えられている。

だから、わかりきったことでも振り返りをし、言葉で綴り再確認しようとしている。私には、同じ年の連れ合いがいる。さらに四十代の娘がいて、三十代の息子がいる。娘は結婚して遠くに暮らし大学で働き、息子は介護施設で朝から晩まで働いている。

連れ合いは家の家事万端を担い、一方私は二十年余りを、ずっと学校現場で働き、二度ほど大病をした前後の十年間は家庭教師で日々の糧を稼ぎ、ともかく働き続けてきた。
 

このような各々の家族の現状を思いながら、私と連れ合いが選び取った最優先の道が、少しでもずれていれば、娘も息子も、私も連れ合いも、各々の現在はなかったなと思う。ずっとずっと貧乏だったが、特に子どもたちの成長に関わる最優先の道は何だろうかと思うこと、それを支えるために、一つ一つ、何かを決め、それを選択することだけは怠らなかったと思っている。(続く) 

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