手紙

さて、本日は手紙を書くような文体で綴っていきます。
今私の心は氷のように冷たくなっていて、でもそうだからといって、
別の自分がそんな心の状態を、静かに見つめているようなところもあって、
耳の中には、キーンとする沈黙の「音」が響き続けています。
昨夜は、一晩中眠れなかったのだと思います。すべては、そのせいだといえるかもしれません。
もう少しすれば、外界に下りて仕事をしなくてはいけないから、それに対しては、
今の私の状態は、かなり不向きな状態だと思います。
思えばこんな状況は数限りなくありました。私と連れ合いは、
こんなふうに生きていきたいという思いを強く持って、一緒に45年も歩いてきました。
私には二人の子どもがいます。上は女性で、下は男性です。
各々、感受性が豊かで、しっかりとものを考え、心優しく、
目の前の現実に向き合って、自分の最善を尽くしているといえると思います。
こういう具合ですから、私は家族に対してこれといって大きな不満はありません。
そんな私が、人生の節目を迎えようとするとき、色々な問題にぶつかります。
何よりも苦しかったのは「理想」と「現実」の間で、生き抜き、
暮らし抜いていかなくてはならないということでした。
こんな状況を少し詳しくいうならば、私自身が物事を捉える力は、
決して衰えてはいないのに、私は日々年老いて、それに抗う力を失う中で、
「理想」と「現実」との齟齬だけがストレスとなって心に蓄積して、
自分を追い込んでいくということでしようか。
昨夜は、連れ合いと久々にいい争いました。連れ合いは自分をふり返って、
「自分の人生のデザインができない」と悲しそうに語っていました。
それを聞きながら、私の方は、デザインはあっても、
それを現実のものにすることができなかった自分をふり返っていたのです。
連れ合いは、悲しみを少しでも遠ざけるために「酒」を飲みます。
それでも効果はないので、酒の量は増え、悲しみはいらだちになって
、私に向かうこともしばしばでした。それが悲しいといつも思いました。
それでも連れ合いの存在は、私に生きることの本質を常に教えてくれていると、
こればかりを思って歩いてきたのかもしれません。
さて、仕事に行きます。定時制高校にあと一カ月余り勤めなくてはなりません。
生きることは大変です。でも現実を真正面に引き受けるのは、私の天性なので、
これからもそうしていくことになります。今頃息子は
インフルエンザが猛威を振るう老人介護施設で奮闘しているに違いありません。
そんな息子の未来を見守る責任は、理想倒れになりながら人生を愛し、
子どもたちを愛し続けてきた私と連れ合いにはあるのですから、
この地上からいつの日かいなくなるまで、やっていくつもりです。
真面目で真摯な生き方を全うしたいと思っていますから、どうかご安心ください。