私はすでに72歳になったが、この命が尽きる日まで「人間」でありたい。
この願いは、今人間である私が、特別に考えるようなことではないし、
わざわざ言葉にしてみる必要もないことなのか。
人間として生まれ、人間として生き、人間として死んでいく。
そうして展開の中で一生を終えることは、
実は、とても大変なことなのではないのか。
例えば、今私が生きている日本という国。
権力中枢や、それに連なる人々が不正を繰り返し、
民衆を幸福にしていくという政治の本来の役目を放棄して、
自らの権力を維持するために、思いつく限りの不正を働いて、
富と権力をほしいままにしている。
そこで私は、そうした状況に怒り、
政治変革のために、まず選挙に行き、その他にもできる限りのことをしている。
しかし、それ以上に何をしたのかと自問自答してしまう。
政治変革を思い描き、行動するというのは、
人間が阻害され、損なわれている状態に対して
人間を人間として尊重させるために、諸々の理不尽な侵害に抗議することなのに、
私の行動は、あまりにも弱々しく、あまりにも不足している。
それでも私は、やはり前へ進んでいく。
僅かな僅かな私の歩幅を、何歩も重ねながら、
人間を侵すものに抗って、前進したい。