あくまでも、思いつくままに書こう。
どうして、こんなにも悲しいことがありすぎるのか。
世界にも、この国にも、身の回りにも。
それでも、昨日も今日もあり、きっとまた、明日もある。
ここのところ一ヶ月ほど、パレスチナの惨状に対して、
いったい自分は、何ができるのかと、
毎日悩みながら、暮していたが、
昨日は、「イスラエルはガザの虐殺をやめろ」と書かれた
ポスターをリュックに括り付けて、町の中を一人で歩いた。
負傷したパレスチナの子どもの写真が、文字の背景だった。
その後は、知り合いの人達と一緒に、
もう一枚の別のポスターを胸のところに掲げて、
一時間程、交差点の角に立っていた。
空は晴れて、半月が綺麗だった。
今日は、昨日と同じように外を歩いていない。
「イスラエルよ、直ちに攻撃を止めろ。」
「パレスチナの人達を殺すな。」
「パレスチナの子ども達を殺すな。」
いくつもいくつも、私の心の叫びは続いて、途切れることはない。
けれど、病院、学校、難民キャンプ、人々が暮らしている家などが、
次々と攻撃されて、一方的に殺されていく。
何もできない。ただ何もできない私が、私を見つめているばかりだ。
映像に映し出される負傷した、あるいは殺されたパレスチナの人々を
私は、ただ見つめるだけ。
パレスチナの民衆を、際限なく、次々の殺していく。
日本もまた、アメリカに追随して、
イスラエルを支援しているのに変わりはない。