女性が人として扱われない。
そういう国に生きているのは、ずっと前から、もちろん分かってはいた。
女性は人なんだよ、馬鹿言ってるんじゃないよって、
老齢になるまで、私も叫ばなかったわけではない。
いや、叫び続けてきたと言ってもいい。
けれども、だんだん、女性を人として認識していない社会に、
いちいち抗っている暇がなくなって、
さらには、そうすることに疲労感ばかりが募っていきながら、
時間はどんどん経ってしまった。
そして今、目の前のこの国の姿は、
女性を人として扱わない究極の状況が、日常的になっている。
さて、こういう現実に対して、私は、あらためて行動を起こそうと思う。
目に見える女性蔑視と目に見えない女性蔑視、
とりわけ、目に見えがたい女性蔑視が、よくわかってきて、
それが、どのような様態を持っているのかを
言語化できる年齢になったのである。
そこでまず、男たちがやっていることや、やってきたことを、
この目で、何度も何度も見直す作業から
私の行動をスタートさせようと思っている。
この国の、この社会の、
男たちが、主導権を握って作り上げてきた様々な状況が、
女性蔑視をはらみながら展開してきて、
そこに自分自身が、巻き込まれていることがわかっているのに、
いったい私は、いつまで黙っているつもりだったのか。
そういう自分に、もういい加減、決別しなくてはならない。