絶望から光が見えるということか・・

 大飯原発で弾圧を受け、裁判闘争をしている、

 確か、そういう状況にあった在日韓国人の方が、言ってた言葉を思い出す。

 その言葉を、近頃では度々思い出すけれど

 それは「本当に絶望しなくてはだめなのだ」という言葉。

 「絶望がたりない」と、「真に絶望しない状況では何も進まない」と

 そういう言葉が、次々に彼の口から出てきたなと記憶を新たにしている。

 確かにそうだ。いつも、一日一日をやり過ごす。

 毎日、ぎりぎりの所で生きていて、その日のことだけで精一杯になり

 自分を取り巻く全体状況が見えないまま、

 いや、あえて見ようとしないまま、

 何とか今日が過ぎていくことを幸いと思って、明日を迎える連続だからだ。

 いやいや、心では十分怒り、悲しみに暮れてはいても。
 
 もうでも、いい加減本気で絶望して、この国の

 壊滅的な状況を目の前にとらえて、苦しくとも

 その上で、歩いて行かなくちゃいけないと思う。

 福島の現状はどうなっているのだ。

 除染によって、次々に増えていく

 汚染された様々な物たちが詰め込まれたビニール袋の山のような写真が

 ツィッターに寄せられるが、その光景を見て

 それ以上には、何もしていない自分がいる。

 沖縄の人々が、アメリカの新たな基地を絶対に認めないと

 激しい反対闘争を繰り広げていることを知りながら

 その情報を拡散するだけで、それ以上には動かないままの自分がいる。

 国のあちこちのこんな状況は、いずれ、それこそもうすぐ

 目の前の自分のことになっていくはずだと思いながら。

 この国の暴挙は、国中津々浦々に及ぶのはわかりきっているし

 現実には、日々、見えるところも見えないところも

 私たちの目の前で、私たち自身が侵され続けていて、

 すぐにでも抗わないと、どんどん時間切れになっていっているものだって

 次々にあるのだから当然のことだけれど。

 物価がどんどん上がり、この国に生きる民として

 国による、その扱いがどんどんひどいものになっていくということを

 日常的に実感して、何とか異議申し立てをしなくてはと思いながら

 いったい、何をしているのだろうか、いや何もしていないに等しい。

 もう時間などない。何もしない私のような人間がいることが、

 国の権力者を増長させている。

 でも、現政権を支持したことなど一度だってないのだ。

 それも、この国を転覆させようと思ったことなどもなく

 ただひたすら、よりましな政府ができるようにと、

 選挙権を誠実に行使してきただけではだめだったのだと、

 もう、とりとめもなく、思いがぐるぐると廻っている。