生きる・・ということを思う。

 連れ合いが、それこそ昨年の秋以来はとくに、

 心が沈んで いったりきたり、

 もともと、はち切れんばかりに

 明るさをふりまいてくれる人間ではないから、

 それほど、意外なことではないけれど、

 やっぱり、一緒に最後まで生きていく相方なので、

 ずぶずぶっと、沈んでいかれるわけにはいかない。

 この国にしても、世界に目をやっても、

 なかなか希望など持てない状況の中で、

 彼が、そんなふうに沈み込んでいくのは、

 全くまっとうなことだとは思いながら、

 いや、ダメだ。ともかく生き抜こう。

 一緒に生き抜いていきたい。

 生き抜くことに、大きな意味がある。

 安倍晋三などという、愚か極まりない男を

 この日本という国の、総理大臣にした愚かな民の中で、

 愚かな民の一人として、生きている現実を

 そのまま受け止めるしかない。おそらく、

 明日などはない。それにもかかわらず、私も、

 周りの人間たちも、明日があるかのように生きているし、

 そうしなくてはならない状況に置かれている。

 ついさっき、センター試験を受験してきた生徒から

 メールが届いた。頑張ってきたとのことだ。

 そのメールに、ご苦労様といいながら、心底、この国の

 未来など信じることもできない自分がいる。

 連れ合いも、そこが、そのジレンマが苦しいはずだ。

 そしてなお、そんな状況にしてしまったことへの自責の念。

 まっとうな人間なら、そのことを思わないわけにはいかない。

 そんなことを思う、私と連れ合いは、もう、ずいぶん一緒に

 歩いてきた。そして、残された時間をも、一緒に歩いていく。