今日は火曜日、すでに4日間も休んでいる。
どんなささいなことでも、やろうと思ったことはやり終えようとして、
何とか少しずつやってきた。
それは本当につまらない日常のことだ。
でも、やり残さないようにしようと思っている。
力ない私にできることなど、知れている。
そうであればあるだけ、日々の細かなことを誠実にこなして
暮らしていくことは、私の生きた足跡そのものを刻んでいくことだ。
今日は何をしたかといえば、
年とった女性が一人で切り盛りしている喫茶に行って
久しぶりにコーヒーを飲んだ。
忙しい忙しいといって、そこに寄らずにいて、
彼女に何かがあったらきっと後悔する。
元気なその人は、今日会ったら、ずいぶん年をとってしまっていた。
それから連れ合いの下着が、もう相当にくたびれてしまっていたので
代わりの新しいのを購入した。
これだって馬鹿にはできない。
下着の清潔さを保つことの大切さは、亡き母に教えられていた私。
そういうことに不精な連れ合いのために
新しい下着を買って帰ることは、
これもまた結構重要なことでもあった。
極右の政治権力の下で生きていようといまいと、
人間の日常とはこういうものだということか。
いやいや、これからどうなるのかまったく不透明な日本。
そのことを思えば思うほど、平凡な自分の暮らしを
まず確認しながら、先へ進んでいこう。
そうでないと、頭の中がもやもやするばかりだ。
仮に、遠からずこの国に破局が来て、殺戮が横行し
弾丸雨あられの日々が続いたとしたら、
つまらない日常が、どれほど素晴らしいこととして
思い返されることだろうか。