書くことは、心の回路を開く・・

 

右手の人差し指が痛い。水仕事ばかりする人がひどい手荒れをして、
詰めと指との境が割れてくるようなことがあるが、そんなふうになりかけている。
家の家事はほとんど連れ合いがしてくれているので、家事のせいではない。
思い当たるとすれば、仕事場でチョークに汚れた手を、
たびたび洗っていることが原因になっているのかもしれない。
ハンドクリームをこまめに付け始めるようになった。

今自分が住んでいる土地から、東京はあまりに遠いような気がしている。
東京にある国会などは特に、自分の存在とか、自分の暮らしとか、
そうしたものから、あまりにもかけ離れていて、歯がゆい思いがするのだ。
なぜ歯がゆいのかといえば、言うまでもない。
安倍首相がやりたい放題をやり、
それにブレーキをかけることができない野党がいて、
この国に生きる人々の運命が決定づけられてしまうような状況に
歯止めがかからないからだ。

現政権の独走はもちろん国の内外に被害を広げているが、
今や、それに抗う人達は命をかけるほどの状況にさえなっている。
沖縄や福島、その他にも、政権批判をすれば、
わけのわからぬ理不尽な批判を浴びて、日常の暮らしさえ脅かされかねない。

こうした日本の現実から目を背けずに
まだまだ知らないままでいたことを掘り起こして
自分の内側に蓄えていこうと思う。
かつて、学んだ知識などほっておけば
腐って役に立たないのだとつくづく思っている。
日々更新しなくてはならない。

人を踏みつけていくような状況をいやだと思うのなら、
その実態について正確に知る不断の努力だ。
それをなぜ怠ってきたのだろう。
毎日の暮らしに精一杯だったからとか、
勝手な言い訳をして過ぎてきてしまったなと思う。

参政権を得てから、くり返し投票をしてきた。
少しでもこの国が住みやすくなるようにと、
それに反する政党に投票したことなど決してなかった。
そんな積みかさねの中で、それでも、日本は変わり得ないのかと
諦めてしまっていたということだろう。

だが、それが盲点だった。
権力は日々その姿を変質させ、民衆の批判の程度を見ながら、
隙あらば独善的に、傲慢にその姿を変質させていくということだ。
その権力の劣化に、実は自分自身が手を貸してしまっていたのだと思っている。

権力を日常的に批判し続けることがどれほど大切な営みであったのか。
この国が事ここに至ってあらためて痛感している。
こうして綴っている時も、現政権の理不尽な施策のもとで
痛めつけられている人々のことを想う。
もちろんそれに抗っている人々のことも。
いや、自分自身、生きにくさ、暮らしにくさについて、
この国に生きる民の一人として痛めつけられているのはいうまでもないけれど。

静かな不断の闘いを志向していこうと思う。
権力を批判することを日夜怠らないこと。
巷でのつぶやきの仕掛け人になれるならならなくてはいけないと思う。
言葉を発信することを絶やさないこと。
言葉を紡ぎながら、自分の弱さが見えてもくるし、
そのことで、人間をふみにじるものに対して、より有効な批判が可能となろう。

こうでない社会、こうでない国を創造したいのだ。
もうそれなりの年になったが、次世代に何を伝えられるのか、
このまま知らん顔をしていては、その問いに答えることができないのだ。

それにしても知らなかったということが、あまりに多すぎる。
そのどれもを知ることなど、もちろんとうてい不可能だが、
日本をはじめ、世界のあちらこちらで非道がまかり通っていることを、
知らないままでいることを、可能な限り何とかしたいと思っている。
そこで次々に本を読む。より確かな情報を探す。さらに人とも語りあう。

その視野が広がり続け、地球上の隅々と自分とのつながりを確認する。
できないことでもやれることはしたい。
それらが、非道への怒りと批判を忘れない方法の一つだと思う。