小田原紀雄さんを追悼

友人が亡くなった。
いや、今となっては知人といった方がいい。
小田原紀雄さんだ。日本キリスト教団の牧師であり、反天皇制運動のリーダーであり、
その一方で、山谷の労働者と共に歩き、パレスチナ解放運動に関わり、沖縄の問題と向き
合い、その他にも、私が知っている限り、常に権力と真正面から対峙している人だった。
笑顔がかわいかった。童顔だったということもある。
よく通る声だった。その声で、運動の先頭に立って、日本各地を講演していたはずだ。
その彼が、私が住んでいる島に最後に来てくれたのは10年以上前のことだ。
その後、いく年かが過ぎ、私の方から小田原さんと縁を切ってしまった。
島で暮らしながら、様々なことで行き詰まり、そんなことの一つ一つを
彼に向かって語りかけたかったはずだったのに、その機会を逃した。
私の方から、ひきこもってしまったのだ。
毎日の暮らしに絡めとられながら、戦いの方法も、戦いの行方も、見当もつかないまま、
それからの私は、じっと忍耐しながら、暮らしていくことに精一杯だった。
戦うことより前に、今日の糧を得るという日常は、それ自体が戦いだった。
そうした中での自問自答の日々・・・。だが、その結果に何があったか。
いうまでもない。今や、現政権の暴政は留まるところを知らない。
8月23日、小田原紀雄さんは亡くなった。
あなたの声が耳に残る。躊躇いのない、はっきりした口調のあなたの語り口が
蘇ってくる。
あなたの死を知った昨夜からずっと、私の心は疼いている。