自分を追い詰めよ・・

他者にふりかかる悲劇も、自分にふりかかってくる悲劇も、
その現実を知らないままでいれば、なんと楽な事だろう。
毎日、日常の目の前のことで怒ったり、喜んだり、
昨日がつつがなく暮らせたように、今日もつつがなく暮らせたと思いこみ、
そしてもちろん 明日も難なくやれるだろうと思う。
そんな日常が展開するだけだ。
だが、どうにもならない現実は、もうそこまで来ている。
イスラエルの蛮行が日夜ネット上に、次々に伝えられ、
それをほぼリアルタイムで目に焼きつけながら、
イスラエルに武器を与えるアメリカと、
そのアメリカに従属して、これまた暴走を加速させる
日本の国家権力を生々しく実感する。
それが私をいよいよ本気にさせ、
人間の尊厳をふみにじるどころか、
今や、パレスチナの人々を皆殺しにしようとする
イスラエルへの怒りが燃える。
子どもたちを殺す。無抵抗の一般の市民を殺す。
高性能の武器で、最新鋭の武器で、まるごしの民衆を次々に殺していく。
おまえにはわかるか。これが戦争、いやこれが虐殺、国連など無力に等しい。
一人の自分がもう一人に自分に語りかける。
こうした状況に置かれたパレスチナの現状を、
本当に私はまともに何も知らなかった。
無知と無関心でよくこれほど長くいられたものだと、
一人の自分がもう一人の自分に語りかける。
人権を暴力によって奪われるとは 一体どういうことなのか
私はイスラエルパレスチナの問題で、改めて理解したと思う。
人間が動物のように扱われ、爆撃され、武器で追い立てられ
殺されるという現実を、ネットの映像から、ネットの記事から学ばされた。
しかし、この現実は、やがてもっと身近に起こってくるにちがいない。平和を希求して、あくなき努力を、日常的にしてこなかった自分に罰が与えられているのかもしれない。
目を覆うばかりのパレスチナの惨状が私につきつける。
おまえの無知無関心の、ずっと昔から私達は、
ふみにじられ、抵抗し、さらにまた、殺され続けてきた。
さて、いよいよもって、知らないままでいいはずはない。
人間を殺すなと、なお一層大声で、叫ばなくてはいけないから。
幼いパレスチナの子の遺体を見つめながら、
どうしても、怒りをたぎらせなくてはいけないから。
私の人間回復のためにも・・・そのためにも・・・