2月も下旬になっている・・・

 60歳を過ぎてからは もう今日一日、生かされるのかどうか、そんなことを考えて暮らすようになっている。

一つには母が59歳のとき、くも膜下出血で突然死んだということがある。初めての最愛の人の死だった。母だけは決して死なないのだと確信して、その日までを生きていた自分がいた。

老いるというのは、見えないところから、徐々に徐々に内部崩壊をしていくことなのだと思う。それは防ぎようのないもので、じわじわと起こっていくそういう現象を静かに受け止めながら、人生のまとめをしていくということなのだろう。

だから、残された時間はできれば有効に使いたい。ゆっくりと、やるべき仕事を一つ一つこなしていくしかない。

もっとも、どこでもゆっくりと、というわけにはいかないから、仕事が休みの日は、ともかくゆっくりすること。ゆっくりご飯を食べ、ほほづえをついて、ゆっくり座って、何を考えるともなく静かな時間を過ごす。

そうすると、決まって膝には、猫がのっかってくる。