図書室のおばさん

 生徒が来ない夏休みの間に図書室の整備が進行中。

 一人小さな図書室にこもって本の片付け、本の分類、棚のぞうきんがけなどやることはたくさんある。
 
 半年くらい前から、手をつけようとしてできなかった180冊ほどの世界文学全集が、棚の片隅にあった。

 そのほとんどに分類カードが入っていたから、それを古い台帳で調べてみようとしたが、あまりに昔の番号で台帳には残っていなかった。

 そこで「寄贈本」として新たに番号をふり、登録し直してゆくという方法しかない。

 その作業を開始。

 もっとも、まずは一冊一冊、箱あり本から、箱なし本にする。

 次には、箱のビニールカバーと、本のビニールカバーを剥ぎ取って、箱は所定の位置へ、本は本棚へと整理する。

 その過程でのことだ。

 なんともいえない懐かしさがこみあげてきてしまった。

 とはいっても、世界文学全集の多くを読んだからとかいうものではない。

 文学全集を目の前にしては、ワクワクして、すぐさま手にとって読み始めていた頃が懐かしかったのだ。

 若い頃の、我を忘れる旺盛な知的好奇心、そんなものに満たされるとき、なんと嬉しかったことだろうか。

 もちろん、二度と若くはなれないが、老いてゆくことで「知的好奇心」を摩耗させていいはずはない。

 多くの作家たちが、小説を書き、詩を書いていた。

 様々な状況下で、ただひたすら、文学を創造して、筆を走らせていたのだ。

 その様をしみじみと思った。

 ああ、時間を作って、この古ぼけた世界文学全集を私も読もう。

 仕事の隙間に、こっそり図書室に来ては、この一冊一冊を開いていこう。

 「言葉」の力を信じ、命がけで創作した作家たちに、深々と頭を下げながら

 作品を読了してみたい。

 言語不信で、語ることも躊躇われるようなこんな時代に、なんとも素敵な仕事をして一日を終えることができたではないか。