何気ない話

今日は、朝から暇です。今日から三日間仕事が首になるからです。
なぜ、そういう措置になるのかわからないけれど、高等学校の臨時採用の講師に、失業保険などを払わなくても済むためかしらなどとも、
脈絡なく考えています。
その代わりに退職金を少し貰います。
それで、三月の給料の三日分の穴埋めや、
三日分の国民健康保険料の支払いなどの足しにします。
新聞なども読みました。いつもは新聞を、
ゆっくり読むような心のゆとりがありません。
決して、新聞に目を通すことができないほど
日夜多忙だったということでもないのですが、
知らぬ間に、そんなふうに自分を縛っていたのだと思います。
考えてみるとこうした無意識の縛りから解放されて、
昨日は、今までにないほどくたびれてしまったのかもしれません。
朝ごはんも、一人で静かに食べました。「食べよう」と思いました。
やることはやって一日をはじめようって、
体にエネルギーを取り入れないと、一日が始まらないって、
心の底で静かに考えました。
冷蔵庫から食パンを取り出し、それにチーズをのせて焼きました。
テーブルの上には、昨日の晩のおかずが残っていたので、
それをパンにはさんで食べたのです。
レタスと、タコとコノシロの卵を、そういう食材がサラダの様な、
そうでないような不思議な味わいで、昨夜はそれがメインディッシュでした。
夕食のおかずを作ってくれた連れ合いは、春はなぜ悲しくなるのかと、
目が腫れていました。何度も何度も泣いていたに違いありません。
春が・・ということよりも、昨今の様々な現実は、
それはもう、心が枯れるほどに泣いても、まだ足りないほどのものです。
そこに、春の余りに危うい空気が悲しみを加速させたのかもしれません。
それでも、この思いをかみしめながら、やはり今日一日を、
静かにそっと生きようと思います。
私にしても、悲しみはもう、どこかに紛れ込むようになってしまっていて、
その重たさが心底に居座っている感触を自覚しない日はありません。
(2012.3.29)