生活の詩 二編

 ほんとは 田舎になんか帰るんじゃなかった

これは誰も言えなかったこと
なぜって 
そういったら前へ進めなくなってしまうから
都会から田舎へきて
まずは隠せないほどの戸惑いで

焼酎を飲んで 君は近所を歩いて帰ってきた
「何ができるのかな」って
私も呑気だった
でも すぐに乳がんになって
私は病院のベッドの上

一つまた一つ気力で生きた
転校したての娘と息子を不安がらせないように
そればかりを思っていたような懐かしい記憶
毎日が暮らしに次ぐ暮らし
ただ 試行錯誤の日々の中

あふれる豊かな自然の中で、
日銭を稼いで食べ物を買い
生きるために必要な
いろんなものを手に入れる暮らし
そんな矛盾に気づき始めたのはまもなくのことだ


「君のサイクルで動いてるんじゃなくて
自然のサイクルで動くんだ」
そんなふうに怒られたことがあった
夜明けのこと 一緒に釣りに行こうとした私が
寝坊した日のことだった

それ以来 大自然の時の流れの中で
私は いつも頭を下げることばかりだった
でも すぐに大きな壁にぶつかってゆく
暮らしができない
仕事がないのだ

それからの日々は言葉に尽くせない
暮らしの大変さ
子育ての壁 学校 いじめ 不登校
苦しむ子どもと 貧困な暮らしと
なんだか戦いの連続だった

それでも仕事にありついて
高等学校の講師をしたり家庭教師をしたり
あっちこっちで ひたすら頭を下げながら
忍耐して忍耐して
私の田舎生活は楽なもんじゃなかったなあ

それからまだまだ私の人生の叙事詩は続く
私がいろんな夢を託した田舎の暮らしは
ふっふっふ 現実に見事に押しつぶされながら



アルコール依存症

K君はアルコール依存症です
ずっと昔 K君は不眠症でした
そこで手を出したのがアルコールでした
でも なくてはならないアルコール
というわけではなく
よく飲むという程度のものだったと思います

その後も「依存症」という感じではなく
むしろ酒に呑まれてしまって
トイレと間違えてしまって
部屋の隅におしっこをしてしまったこともありました
それはもう 若い若い頃のことです
酔い潰れてしまうK君の悲しい姿を思い出すことができます

「依存症」に近付いてきたのは
田舎に越してきてからです
子どもたちを育てる責任ある父親だった頃
K君は昼間は働いて
帰宅後すぐに焼酎を片手に
家事をしていました

それが急激に変わったのは
田舎での仕事がなくなってからです
家族を支えるためのお金が
稼げなくなってからです
都会で三十年も看板屋をやった後
最初は田舎でも看板屋でした

でもその仕事もだんだん少なくなって
しばらくすると「たこ焼き屋」を始めました
知り合いの人から
自分の店の敷地の中でやらないかといわれたのです
その時も仕事は仕事
アルコールは仕事が終わってからのことでした

それからまたいっとき
看板屋をやりました
でも又しばらくして辞めることになりました
K君を雇ってくれた看板屋さんの
仕事がなくなったからです
アルコールの量は少なくはありませんでした

次にやったのは牛乳配達の仕事です
それは薄給でしたが
朝暗いうちから懸命に働いていました
そこでまたいっそう暮らしのリズムが複雑になって
焼酎をちびちびちびちび
結構たくさん飲むことになったのです

そしてある日
やたらに足がつったり
お腹がすっきりとしなくなったり
さらにはイライラが頂点に達して
家族を困らせるので 医者に連れていくと
「急性アルコール性肝障害」
確かそんな病名がつきました

アルコールの飲み過ぎで
肝臓の病気になったのです
それから二週間 
アルコールをやめてみると
体はすっかり回復してゆきました

その経験は家族に一つの決意をさせました
K君にもっと似合った仕事についてもらおうと
たとえ多くは稼げなくても
「看板屋」を自営しながらやりたかった仕事を持つ
そんな暮らし方を勧めたのです

でもうまくはいきませんでした
うまくはいかないことが苦しくて
アルコールでボーっとなりながら
肩を落としてゆくばかりです
少しは元気になっても いまでも
やっぱり一つの周期で波のようにゆれています

アルコール依存症
悲しい心の隙間に侵入して
その隙間をどんどん広げてゆくような気がします
すると心はもっと悲しみに沈んで
心の隙間は押し広がり
そこを埋めようと
アルコールと
手が切れなくなってしまうのでしょうか