色々なことが断片的に頭の中に浮かんできて、
それらを、断片のまま書いていくことも大切なことかと思っている。
さて、日頃からSNSを利用している私は一日一回以上はSNSを覗いている。
もういい加減、SNSを見なくてもいいかなと思っているのに、
やはりパソコンを開けて、SNSの画面を開いてしまうのだ。
そこには、数えきれない人々が色々なことを書き付けている。
それらを読みながら私は、一つ一つの書付に賛同すすれば、
その都度、賛同の意思表示を「いいね」というボタンを押して明確にする。
ああ、こういう事件があったのか。
世の中は、そういう具合に動いているのか。
一体この先は、どういうことになるのだろうか。
このように、私がついついパソコンを開くのは、
私を取り囲む事態を、私なりに把握するために他ならない。
把握したからといって、どうにかなるものでもないが、
もちろん、把握しないよりは、いいに決まっている。
しかし、もうそろそろ、パソコンから情報を得て、
その情報に反応するという、私の中の一連の動作が、
限界に来ているのかなと思っている。
コロナ、貧困、社会不安、老い、大雨、大地震、政情不安など、
何だか、色々な事態がどんどん進んでいるのはわかるが、
それでいて、実は真の情報は、どこにあるのだろうと
じっくり考え抜いて、それらを探していく術もないのだ。
しかし、生きて暮らしているというのは、
とりあえずは、前に進んでいるということだから、
とりとめもない考えをであれ、何であれ、
今日も私は、往ったり来たりする心の中の思いを、
言葉にしながら、生きていくしかない。