嫌な夢を見て、起きました。
とんでもなく、怖い夢だったとか、そういうことではないけれど、
嫌な夢であることは、間違いありません。
それでも、幸い、今は、その夢の内容を忘れています。
やはり、相変わらず、ざわざわした心から解放されていません。
その中身はと言えば、
悲しみが4割、怒りが3割、そして喜びが3割です。
自分が生まれ育った国の政治や、社会が、でたらめな状態であることが
これほど自分の心に、影を落とすのかと、自分でも驚いてしまいます。
それは多分、国とか、社会とかいうものが、
ある程度まで、可視化されて、自分が生きている狭いエリアからは
見えなかったものが、見えるようになったからだと思います。
それらは、あまりにもひどい状況で、命を落とさなくてもよかった人々が、
次々に、死んでいってしまうというようなことが起こって、
それが、はっきりと見えてしまったということ。
さらに、そうしたことを防ごうとする姿勢が、日本という国には、
全くと言っていいほど、見えなかったということでしょう。
もう、ここまでくると、いつ終わるとも知れない紛争を、
日常的に体験し、自分自身も、命の危険と
隣りあわせに生きている他国の人々と、
今の自分は、似た状況に暮らしているのだと、認識しています。
私は今、山間地に暮らしています。
わずかな老人ばかりの世帯、付近に林立する木々は、荒れ放題の地域。
そんな状況は、この土地では珍しくありません。
「少子高齢化」などと、口にはするものの、
そのことの意味と、そのことへの対策など、
考えようにも、考えらる能力もないのが、地方自治体の姿です。
おそらくこれは今に始まったことではなく、もともと、日本では、
何とかなるという楽観的な空気が、蔓延していたのかもしれません。
そして、21世紀の今に至り、自国だけではなく、地球規模で、
物事が動いていく状況に、全く対応しきれなくなっていったのではないかと
色々なことを、思いめぐらしています。
外は曇り、いよいよ、終焉を迎えようとしている92歳の母のもとに
連れ合いは通い続け、心身ともに疲れ切っています。
こういう時は、大空を見ます。人知でははかり知れない大自然に
目を向けること以外に、貧しいものが癒される道はないように思います。