老いる、そして生きる

今日4月13日土曜日で、私の年齢は67歳と4か月20日になる。最初から、こんなことを書くのは、すでに私が、自分の残り時間を視野に入れて、行動しなくてはならない老人になっているからだ。
 

 それからもう一つ、実は私には、自分が老人であることに、真正面に向き合っていないという思いがあって、これをゆっくりと乗り越えるためには、こうして、自分の年齢を意識的に思い出すことは、とても大切だと考えるようになったからだ。
 

  ちょうど二週間前、私は県立高校の非常勤講師を名実ともに退職した。実際の授業は3月18日には終わり、それから9日後の27日には「退任式」に出席して、一年間、全く関わりのなかった同じ学校の教師や生徒に退職の挨拶をした。そして3月31日、県が出した一枚の「辞令」には、私の非常勤講師としての務めが一切終了したとある。
 

  そんなわけで、現在、私は給料がもらえる仕事に就いていない。この地球から去っていく最後の日まで、仕事をしていくつもりなので、もちろん、新年度の4月からも、教師として仕事をしていきたいと希望を出しているが、いまのところ、仕事の要請はまったく来ていない。
 

   すでにハローワークには二回行き、私が希望している仕事を伝えて、いくつかの応募先を教えてもらっている。そのうちの一軒を訪ねて、仕事場を見学し、仕事の内容を聞いてみることも終えている。

  

 私が、自分から積極的に訪問した先は保育園。そこは、小学校が就業時間を終えると、児童たちの学童保育所になる。その場所で、子どもたちの宿題の手助けとか、諸々のお世話とか、そういう仕事ができる人を求めていた。
   

    見学した後、園長と話をしたが、はきはきとした口調で園長は、私が、仕事をしないで暮らしていけるのではないか、ここでの仕事は厳しいし、私には向いていないのではないかと、そういう意味のことをはっきりと語り、それに対して私は、自分でも驚くほど、あっさりと、その仕事場への応募を諦めた。

    私が、求職しているのは、もちろん暮らしていくためだ。だから、これからも日々、食べていくことができるお金を稼ぐということに変わりはない。しかし、もう自分に向かない仕事はできないと思う。

    さらにいえば、私が見学に出かけて行った保育園のように、自分の居場所を、どのように努力しても得られそうにない場所に、足を踏み入れようと努力するのは、時間がもったいないという気がしている。それこそ、残された貴重な時間を無駄にできないということなのだ。

   

    考えてみると、幼児教育に関わっている人に、私が出会った園長のような人は多かったと思う。園長は、自分が、私を受け入れられないことを、あまりに露骨に表明してくれたが、これは私への単なる好悪の問題ではなく、園長自身の世界が狭く限られたものだったということだ。

  「普遍的な教育観」というか、いや、もっとわかりやすい、いい言葉が見つかるとは思っているが、視野の広さと一貫性を失わない人間教育における「真理」というのを、言葉にして確立させたいと、自分の中で、あらためて思うようになった。