気分は最高潮かな・・

韃靼そば茶を飲みながら、塩飴をほうばりながら、書き綴りはじめた。
むしむしもせず、それほど冷たくもなく、いい感じの気温で、
窓は全開、そこを猫が行ったり来たりしている。
もう今日は後半から、物事をいろいろ考えていたけど、
ふっといい感じになって、すべて遠まわしではなく、直線的な思考回路で、
軽々と、でもじわっと今後のことなんか考えている。
基本的にそれほど時間はないから、ごちゃごちゃ思わず、希望することを
優先順位をさっさとつけて、ひとつひとつ、自分でも面白いくらい、一生懸命、
それが実現できる方法なんかを考えたりして楽しんでいた。
やることを、どんどんやる。これは慌てているということなんかではなく、
縛りをプスッと断ち切って、解き放すような感覚が近い。
ともかく人生は一度だけ。それを楽しく、ほんと、笑えるほど楽しくどうやっていくかなんだ。
思い半ばでこの世を離れたって、そういうことは関係ない。
簡単なはずはないけど、もういいと思う。ここまでやってきたから、ダメ家族が、できるだけ、
ダメ状態のまま、自分らしく生きる道を、一緒に居る間につけてしまおうと思っている。
もちろん各々が、本人の問題だけれど、そんなことはわかっているけど、
半人前なんだ、みんな、だから今日この日まで、いい感じの感性で生きてこられたんだ。
そんなこと決まってる。
半人前だから愛し合えたなって思う。
一人前だったら、自分の方が逃げ出していたかもしれない。
例えば一緒に暮らしていて、常日頃、一人前を自負されたら、
何か違うって一生思い続けることになったと思う。
だいたい一人前ってなに?そこから疑おう。その疑問が生まれたからこそ、
人間が愛しいって、もう躊躇いなく、思えるんだわ。
そうそう、何よりも私自身が「一人前」になってるかどうかの
強迫観念を捨て切れてなかったってこと。
ああ、もうそれも長々と書くことじゃない。
夕方、やっとこうと思った洗濯が、干してあって、
不思議な湿り気が部屋の中に入ってくるのが気持ちがいい。
実は明日からが忙しい。でも、それも時間が過ぎてゆく。
期限が次々あるけど、間にあうし、間に合わせる。臨機応変
さて、この家の、いや二つとない家族の復権が始まる。
それを内外に示すのは武闘派の私の仕事かな。
そうだ、こういう感覚で、家族の復権を高らかに宣言できるのは私しかいない。