私達は、この国の政治をよりよく変えることができたのだろうか。1945年、敗戦と同時に始まったとされた日本の新しい国づくりは、確かなものだったのか。いや、今さらそんなことをくどくどふり返るのが主旨ではないが、今、改めて歴史を振り返り、問い返してゆくことが必要だと思うからだ。
大飯原発の再稼働を政府が「妥当」だと判断して、それに向けて動き出した。いったい、昨年3月の福島第一原子力発電所の事故は、私達に何を教えてくれたのか。甚大な放射能汚染の状況はもとより、それによって、人間の暮らしが根底から覆され、この先、命をつないでゆくことさえ危ぶまれるという現実が突き付けられた。
だから、多くの人たちが、原発の存在を危惧し、原発のない暮らしを再創造していこうと様々な行動を展開して、未来に向かおうとするのは当然の選択だと思う。にもかかわらず、到底人間の手に負えない代物、それが原発なのだと、誰の目にもわかり始めた今この時、安全を確信する根拠が何一つないまま、原発再稼働を妥当だとする現政権の在り様。
これが私には、60数年前、アジア太平洋戦争に突入した当時のこの国の姿と重なる。まずは、この国に生きる人々の命に関わる結論を、いとも簡単に出してくれるではないか。
どうしても、現政権を交代させる手立てを講じたい。事態が迫っているのは確かなのだから。