自分が、あるいは他の人が、
人らしく生きようとすることに邪魔する者がいたら、
いつでも私は、闘っていた。
そこをどいてください。
そこは、私たちが歩いていた道です。
あなたは、その隣りを、歩いていたではありませんか。
若い頃から、ずっとそんなふうにいいながら、
守るべきもののための闘いが、
いつでもあった。
それでは今の自分は、どうなのか。
もう、闘うということを
どこかへ置いてきてしまったような、
穏やかな毎日なのか。
いや、いや、そんなはずがあるわけがない。
忍耐して、諦めて、
そのうち、何に向かって怒りをぶつけるべきなのかが、
分からなくなっている状態にすぎない。
生きることは忍耐や諦めの連続だ。
でも、私の闘争心は微かな火種のまま、
まだ、キラキラ光っているようにも思っている。