日本の終わり

日本が、終わりというなら、いつ始まって、

いったい、なにが始まりだったのかと、そういうことを考えていました。

日本は、色々な意味で、一つの国の体を成していません。

第一、憲法が無用のものになっています。

憲法の条文の、一つ一つが、形骸化していて、実際のものになってはいないのです。

憲法の条文なんて、綺麗ごと、現実は、そんなもんじゃない。

権利・・・。

何だそれ、義務を果たしてから権利があるのよ。

人権・・・って。

義務よ、義務、まずはそれからね。

何とも、やりきれない民度の低さを、

腐敗しきった政権のもとで、日々、突き付けられています。

巨大な台風が、首都圏を襲ったのは、つい二日前の事。

河川が氾濫し、強い風が、街々を破壊していきました。

そしてもちろん、多くの命が、傷つき、失われました。

そういう中で、東京台東区では、ホームレス状態にある人々が

避難所に入ろうとしたのを、拒否したのです。

一つの国が、末期的な状況になっていくとき、

多くの人々は、人としての心を失っていくに違いありません。

来週には、新天皇即位式があるようです。

8000万円の車に乗って、パレードが予定通り行われます。

日本という国は、列記とした身分制社会です。

台風の中で、避難所から追い出されたホームレス状態の人々と、

祝賀パレードに臨む新天皇夫妻とは、人間の価値が違うのだと

改めて、国の内外に、明らかにしようというのです。