時候のあいさつ・・・・




 卒業式には各方面から祝辞やら式辞やらが読まれる

 日本の卒業式は「儀式」ということになっているので

 ともかく かたい雰囲気がその場を包む

 若い頃は それへの反発もあったが

 もう近頃では 早くこの型苦しい時間が終わりますように

 そればかりを 思ってしまう

 「厳粛さ」への回帰は 

 本来は 天皇が仕切る「儀式」なのだと

 民衆が 忘れないように

 意図されているからだ

 だから 壇上に上がる人々の多くは

 正面に掲げられている日の丸に

 深々と礼をする

 「御真影」に敬礼するのと同じ構図だ

 要するに 「シンボル」がないと不安なのだろう

 それにしても「シンボル」の存在と 

 内面の自立とは

 やはり 相容れないと思う

 だから ずっと昔から今に至るまで

 いやこれからもずっと 「シンボル」は拒否したいな

 ところで話を戻して 

 題名にある通り 「時候のあいさつ」についてだが

 特に 卒業式に登場する

 「式辞」の時候の挨拶の定番は

 どこか ピントがずれていると

 つい 口に出してしまったら

 何か 良い書き出しはないだろうかと

 声をかけられてしまった・・・・・

 そういうわけで今夜は 

 宿題が一つ増えてしまったのだ

 もっとも 仕事を増やしてはしまったが

 使い慣れない漢語を

 無理やり式辞に仕立て上げるのは

 どうも いただけない

 それを聞かされている人々も

 言葉の中身など ほとんどどうでもよく

 「式辞」は 初春の寒々とした講堂に

 白々と 響いてゆくばかり

 さて それにしても 素敵な「式辞」の冒頭を

 思いつかなくては・・・

 宿題は 明日にはやり終えたい