静か、本当に静か・・・

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一人こうして、ブログを綴っています。

静かです。物音一つしません。

でも、この国の政権が腐敗していて、汚辱に塗れていることはもちろん知っています。

私ももう、68歳になって一か月が過ぎた老人です。

相変わらず暮らしに余裕などなく、働いて、働いて、

連れ合いと息子と一緒に頑張ってきました。

仕事がない田舎で、幸い学校に勤めることができたりして、

けっこう永い間、これから成長していこうという子どもたちと一緒に生きてきました。

だから、決して嫌いな仕事をしてきたのではなく、こちらが元気になるような、

こちらが賢くなるような現場に居合わせることができて、幸せだっと思っています。

さて昨夜、久々に日本の中世史の教科書を開いて読んでいました。

心身ともに疲れ切っていたのに、内容がすらすらと読めて幸福でした。

学ぶことで得る充実感、知ることで得る幸福感、

こういうのを若い頃から、何度も何度も体験してきましたが、

それは今になっても、私を潤してくれます。

来月の24日頃、私は中学校現場での有期契約が終了して退職します。

その時、もし生徒にさようならをいう機会があったら、

「伝える」と言うことを話したいなと思っています。

学習するというのは、過去から伝えられたことを、

誠実に受け止めるということなのだと、そんなことを話したいと考えています。

過去からの伝承を受け止め、それを今生きていることに生かし、

もっと良いものを、次世代に伝えていく。

こういう繰り返しが、難なくなされていったなら、

人間の歴史は人間を幸せにしていくものだったに違いないと

そんなことを考えました。

それにしても、でたらめで、強権的で、腐敗した日本の現政権を倒すことは、

これまた歴史的にも、緊急の課題だと思っています。

 

 

 

寒い日

冬ですから当然寒いのです。

でも、寒いのはそればかりじゃない。

心が寒々としてくるのです。

一刻も早く、この国の政権を何とか倒しましょう。

もちろん合法的に打倒するしか、方法はありません。

でも、もう、堪えられない。

年取った貧しい私が、やっとのことで払っている税金が

安倍政権を続けさせる一分になっていると思うと、

これ以上は、堪えられないくらいの屈辱なのです。

底冷えのする寒さ

もう落ちるところまで落ちた日本という国。

公職にありながら、違法な行為を繰り返し、逃げ回り、開き直り、

民衆を愚弄するこの国の権力を握る人々。

政権打倒しか、もう選択の余地はないはずなのに、

未だに権力は居座り続けている。

寒い、心の中まで冷え冷えする。

この国が、多くの人々にとって

安心して生きられる国になるのは、いつの日か。

 

記憶と記録

記憶を呼び起こすこと、それを記録すること。

ああ、今さら、何もかもが遅いかもしれないが、

人生の終わりになったからこそ、その必要を強く思い、

やらなくてはならない責任も感じている。

とまあ、これまでだって何度も何度も、同じことを思って、

ペンを執り、ノートに綴って来たのに、なんで続かなかったのか。

言葉を起こす力が徐々に弱まっていったからだと思う。

私が言葉を発信する前に立ちはだかる壁に、

早々とめげてしまったということがある。

つくづく甘かったなと自分を思う。

もう一度、復唱しよう。

「記憶と記録」そして、さらに「丁寧な日本語」。

何度も、何度も、折あるたびにぶつぶつと、心の中で言いながら、

残された時間を丁寧に生きていきたい。

大切な家族が、いつも傍らにいてくれて、励ましてくれた人生。

夜更けに

寒いです。

ストーブ一つに、あったか座布団を敷いて、

パソコンを閉じないまま、ついに、ブログを書き始めてしまいました。

さて自分が生まれ育った日本が、現在のように、

どうしようもなく劣化した国になろうとは、思いませんでした。

でも、予測はついていたかもしれません。

例えば、公人が嘘をつくとか、白黒をつけずに、

まあまあと言うところで、事態が決まってしまうとか、

様々なところで、憲法が護られない状況があるのに、

そのことが深刻に扱われないとか、

身分差別はないというのは、建前ばかりで、

実際は、雲の上の人々である天皇家が強大な力を保持し続けているとか、

それに連なる、戦前からの権力者が、相変わらず権力を持っているとか、

ずっとずっと前から、その他にも、数えきれないような矛盾した状況はあったのです。

だから、現状の日本の劣化は、日のない所に煙は立たないの例え通り、

十分予測されていたことなのです。(続く)

 

見えるとか、見えないとか

この国は、今、危機に瀕しています。

いつ頃からそうなったのかといえば、

2011年の3月11日の東日本大震災以来、

いや、違う、日本が、アジア太平洋戦争に、どんどんのめり込んでいったあの頃から。

いや、それも違う、日本は、神の国だと言って得意になり、

そんな自己満足に留まっていることだけでは飽き足らず、

それだからこそと、勝手な理由をつけて、

アジアの国々を、侵略し始めてしまった明治の頃から。

こうやっていろいろと考えてみれば、

日本という国が、もともと、民主的で自由と平等を

モットーにしている国などというのは

甚だしい思い込みだったのだと、

今日まで68年間も生きてきて、

今さら、やっと理解できるようになった自分自身が恥ずかしくなるのです。

日本という国を成り立たせている基本的なところが、

全く、何一つ変わっていないのが日本です。

その一方で、圧倒的多数の人たちが、

世界の中で「日本」は、様々な点で優れていて、何一つ心配はいらないと、

本気で思っているという現実です。

 

今、目の前に実際に見えているものが、

見えるのか、見えないのか

今、目の前に実際に見えていないものが

見えるのか、見えないのか

人間の真の能力というのは、そういうところにあるのだと

そんなことを、近頃、特に強く思って過ごしています。

 

 

 

 

 

 

政治家になるしか・・・

今、日本の政権をとっているのは与党、自民党公明党

さらには維新の会と、私は認識しています。

一方で、野党には、立憲民主党と国民民主党

共産党社民党、れいわ新選組など。

あれ、本当にこれだけでしょうか。

実のところ、心もとないのです。

私が、政治に無関心などと言う事は、絶対にありませんが、

政党の名前を、いちいち憶えていないのです。

ところでこの国は、今、とんでもない状況にあると思います。

総理大臣が、国の内外を問わず、色々な場面で、嘘ばかりつく上に、

この国に生きる民衆の暮らしには全く目を向けず、

自分を権力の座にい続けさせてくれる「お金持ち」のためにだけ

権力を行使するような、とんでもない存在だからです。

こういう状況になったのは、色々な条件が重なったためだとは思いますが、

もう、崖っぷちまで追い込まれているのは確かで、私の中の危機感は、

これ以上にはないというくらいに膨れ上がっています。

こうなったら、自分が政治家になった方がいいのではないかと、

近頃、そんな妄想を膨らませています。

それにしても、いろんな思いが、とりとめもなく、頭をもたげます。

飽くなき権力欲にまみれた、与党議員への怒りや反発は、もちろんですが、

それなりに大きな勢力を持つ野党議員が、全く賢くないということが

わかってしまうこともまた、私を妄想に駆り立てているに違いありません。

もう、どんどん坂道を転げ落ちていくようなこの国の状況に気づいて、

何とかしなくてはいけないと思っていた人々は、少なからずいたはずなのに、

それでも、悪政が既成事実として、次々に重ねられていくのを、

ニュースの映像を前にしながら、無念の思いに

涙ぐんでしまうことしかできませんでした。

最高学府の出身で、諸々の外国語をものにした野党のエリート議員たちが

どこをどう、闘っていたのか、実は、全く見えなかったのだと、

現実を直視して、再認識し始めたのは、つい最近の事でした。

いや、いや、そういってしまったら、いけないのではないか。

自分に寛容さが足りないのではないか。

政治とは、どこかで、互いを認め合って、共闘しなくてはなし得ないのではないか。

そういう自問自答をしながら、悶々として、無力なままで、

結構長い月日が経ってしまいました。(続き)