昨日は・・・

 連れ合いの品物は 実際なかなか売れない

 流木展は おそらく全体的に人が少なかったに違いない

 暮らしがかかっているのだから  

 確かに売れなくては困るけれど でも仕方がない

 ああ 悠長なことをいうなよって

 いわれそうだけれど 

 それでも この数カ月 

 流木小物の制作に勤しんでいた連れ合いの姿があって

 それを 見守っていた家族があって

 泣いたり 笑ったりもしたけれど

 一緒に おしゃべりをしながら食事をすることができたし

 こういう状況を 与えられたことには

 素直に「感謝」するしかない

 「感謝」とは 

 「感謝」できるような自分の状況を愛しむということだ

 それがあれば 人が愛せるということになるのだと思う

 これは「聖書」の言葉

 自分を愛するように 隣人を愛しなさいと・・

 まず自分を愛さなくてはダメなのだ

 いつも ふがいない生き方しかできない自分を

 愛さなくてはダメっていうこと

 でも これはなかなか難しい

 それにしても 我が家は 

 そういう家族が勢ぞろいしているので
 
 波に揺られっぱなしの船のようだけれど

 波が静かになったひと時を大切にして

 とりあえず 自分で自分を

 いじめないでいることができれば 

「隣り人」も幸福でいられる

 ただ これもまた優しいことではないかな

 そこで 登場してくるのが

 我が家の場合

 家族の歴史と よく似た「感性」だろうか

 みんなが競争していると

 お先にどうぞって 道を譲ってしまいながら

 刻んできた歴史でもあるし

 世の中がどうであろうと

 自分を譲れないで歩いてきた

 歴史でもある

 ところで 「家族」とはいうけれど

 これは 人間と人間の関係と置き換えたい

 そうでないと この国の状況の中で

 「家族」が次々に壊されてゆこうとしているのに

 人間のよりどころを 小さく限定してしまうと

 「家族」を失った人を振り落としてしまうから

 なんだか とりとめがなくなってしまった

 でも 今日は こういう感じで    

 考えてしまっているので

 正直に書きこんで そのままにしておきたい