卒業アルバム

 

 

2012年3月の卒業アルバムの一枚の写真。それは私が県立高校の定時制に勤めていた時のものだ。職員は総勢12名、懐かしい顔が並んでいる。その中の一人に優しい微笑みを浮かべた社会科担当のS先生がいた。

 そのS先生が、今年1月1日の能登半島沖地震で被災、倒壊した自宅の下敷きになって亡くなったのだ。S先生が亡くなったことを、私が初めて知ったのは1月14日。定時制を卒業したMさんからのメールだった。10年以上前に一緒に仕事をした同僚の死に呆然としてしまった。

 S先生を知る当時の定時制高校の生徒達は私の周りにいく人もいる。早速、その一人に訃報を知らせると、「静かだけど面白いこと言ってくれる優しい先生でした。」と返信してくれたのはNさんだった。職員室で席を並べていた十年余り昔、S先生はいつも生徒の傍にいて、優しく話しかけていた。そんな姿ばかりが思い出される。

 

 

 

 

 

 

 

悲しいことだらけ

2024年が始って、悲しいことが続いている。

1月1日から、能登半島の大地震

いまだに、被害の全容さえつかめていない中、

被災現場では、多くの人々が悪戦苦闘の日々。

行方不明の人だって、まだまだいる。

大変な状況を、切り抜けていかなくちゃ。

心の中で呟いている。

人間でありたい・・・。

私はすでに72歳になったが、この命が尽きる日まで「人間」でありたい。

この願いは、今人間である私が、特別に考えるようなことではないし、

わざわざ言葉にしてみる必要もないことなのか。

人間として生まれ、人間として生き、人間として死んでいく。

そうして展開の中で一生を終えることは、

実は、とても大変なことなのではないのか。

 

例えば、今私が生きている日本という国。

権力中枢や、それに連なる人々が不正を繰り返し、

民衆を幸福にしていくという政治の本来の役目を放棄して、

自らの権力を維持するために、思いつく限りの不正を働いて、

富と権力をほしいままにしている。

そこで私は、そうした状況に怒り、

政治変革のために、まず選挙に行き、その他にもできる限りのことをしている。

しかし、それ以上に何をしたのかと自問自答してしまう。

政治変革を思い描き、行動するというのは、

人間が阻害され、損なわれている状態に対して

人間を人間として尊重させるために、諸々の理不尽な侵害に抗議することなのに、

私の行動は、あまりにも弱々しく、あまりにも不足している。

それでも私は、やはり前へ進んでいく。

僅かな僅かな私の歩幅を、何歩も重ねながら、

人間を侵すものに抗って、前進したい。

 

 

某国の兵士に捧げる詩 その1

どこからともなく銃を構えた兵士が

子どもを狙っている

そしてまず初めに子どもを殺し

次々に子どもを殺しまくる

ただひたすら 兵士は子どもを殺すだけ

決して 狙いははずさない

 

屈強の兵士たちが 

小さな子どもを捕まえて

どこかへ連れていく

小さな子どもは 恐れおののいて

泣きそうな顔をしているけれど

それでもかまわず どこかへ連れ去っていく

 

そういえば誰かが言ってた

子どもを狙って打ち殺せば

味方の兵士の犠牲は少ないって

いったい誰が考えたのだろう

敵の子どもを殺し続けて皆殺しにしてしまえば

敵は必ず敗北し 味方はきっと勝利すると

 

父や母を殺すのは後にして

まずは子どもを狙って殺すこと

それこそ何と素晴らしい絶妙な戦略だろうと 

兵士たちは考えていた

目の前の丘も 目の前の草原も

あたり一面を 子ども達の血で

真っ赤に染め上げて 味方の勝利を勝ち取ろう

 

そうすれば 我らの国は

きっときっと勝利する

まだまだ足りないかな

我らの国が勝利するためには

子ども達の血が まだまだ必要なのかな

兵士たちは そればかりを思っていた

 

地獄の鬼でさえ舌を巻く惨たらしい景色が

目の前に広がっているというのに

それでも兵士は 空爆で死んだ敵の女が

身に着けていたネックレスを拾い上げて

自分のガールフレンドへプレゼントすると

ニコニコ笑っている

 

悲しい事だけれど そんな狂ったような君の姿を

世界中の人が見ていたよ

だからもうすぐ 君も終わりのかもしれない

なぜなら 君の心も体も 生きた屍のようだったから

 

君の体に染みついた血の匂いは

おそらくは生涯 決して取れることはないし

子どもを殺して何回も 何十回も経験した

あの日のできごとは 君の心に蘇ってくるよ

 

お茶の時間

ずいぶん、のんびりしたタイトルでブログを書こうとしているが

イスラエルパレスチナの間で、一時的な停戦合意がなされ

いまのところ、互いに何とか約束事が守られていると、報道は伝えている。

その間に、人質の交換が行われていると、これもまた、もちろん良いことだと思う。

しかし、最も大事なことは、このまま停戦が継続して、

様々な問題を解決して、パレスチナが解放されることだ。

これ以上、殺戮が続いて、罪のない人たちが殺されていいはずがない。

パレスチナの解放が実現することが、戦火の灯を消し、人々が平和に生きていける道。

お茶の時間


暴力、殺戮、そして終末か。

悲劇の扉が、次々に開く。

その連続を、何とか止めたいと、世界中の人が願っているはずだ。

 

もし誰一人、悲劇の連続を止めようとしなければ、

やがては、「終末」に行きつくほかはないという事なのか。

 

そんなことを肯定したくはないが、

この道の果ては、どうしても「終末」になる。

 

見えてしまったのだ。

世界のあらゆるところが可視化されてしまったのだ。

 

画像の向こう側には、空爆で殺された、

陸上戦で射殺された、人また人の遺体。

 

とりわけいまや5000人にもなったという

パレスチナの子ども達の無残な姿。

 

しかしイスラエルは、暴力と殺戮の道を、なお突き進み、

「ストップ」と叫んでいる世界中の人々を尻目に

虐殺をやめようとはしない。