奇跡的だと、かつて娘が言いました。そういう言葉を使いはしなかったけれど、
息子だって、同じような思いを私と連れ合いの人生に感じていたに違いありません。
人間として、どこに立つのか。
何を良しとし、何を拒絶して、自らの魂を護ろうとするのか。
事は、そういう問題です。
信義とか、徳とか、これまで幾人もの人々が、
聞き取れないような声であっても、全身全霊で、振り絞るようにして語ってきたことの
本当の意味を、自分たちの人生の一コマ一コマに重ねながら生きてきた道のりを思っています。
そう、熱く求め続けて、その高みにまで登ると、また道は続き、
こうやって、飢え乾きは今に至っても、その感触を失いません。
生き抜きます。この地上からいなくなるその日まで、誇りを、あくまでもうしなうことなく・・・。