人を上から見下ろすような傲慢な人間にはなってはいけないと、やはり、私は教わっています。
いつ、父がそういったのか、いつ、母がそういってのか、覚えてはいませんが、
傲慢不遜な態度こそは、人間として最も醜いものだと、心底思っていることに気づくたびに
私の内面は、自分が受けた教育のゆえだと確信するのです。
その一方で、近頃私が、人を「馬鹿」だと断じることが、なんと多くなったことでしょう。
とりわけ、公務員で管理職になっている人の馬鹿さ加減は、百害あって一利なしという感じです。
今日も、仕事場でそういう場面に出会いました。
初めからあらすじが見えてしまうような三文芝居のような展開で、
もう、議論するのも阿保らしくなって、相手の思うとおりにすることにしました。
けれども、決して、ただ無抵抗に、そうしたわけではありません。
相手が何を考えているのかをつかんでしまう中で、
こちらが被る被害を、ほとんどなきに等しいほどにしてしまうことが可能だったのです。
そして、あと半年、どうしても付き合わなくてはならない馬鹿な管理職を
心底馬鹿にしながら、無益な苛立ちで、決して消耗しないように、
そうすることで失わずに済んだエネルギーを、自分の内的な向上のために使おうと
何だか、今夜は、不思議なほど晴れ晴れしている自分を、見出しています。
なに、現状の日本社会に向き合わなくてはならない毎日なのですから、
こんなふうに自分の日常の中で、息長く戦っていく戦術を、一つ一つ身に着けて、
確かなものにするというのも、面白いではありませんか。
たとえ、日々老いていく身であっても、
私にいつの日かやってくる死に直面するその日まで、私は戦っていくつもりです。